サッチャル・ジャズ・アンサンブルとは、瞬間風速的に知名度の上がったバンドと言えましょうか。

パキスタン北部の町、ラホールから出て、伝統楽器であるシタールやタブラなどをメインにして

(これらの伝統楽器はインドとばかり思い込みがちながら、地続きなればパキスタンでもなのですな)

本来は伝統的な音楽を奏でていたグループが、世界に殴り込みをかけて?ジャズに挑戦したという。

 

第一弾として取り組んだのが、デイヴ・ブルーベック・カルテットの「テイク・ファイブ」。

CMなどにも使われて広く知られるこの曲を、伝統楽器交じりのグループがどう料理したのかですが、

ブルーベック自身、最もユニークな「テイク・ファイブ」としながらも、褒め称えたようす。

 

Youtubeでも聴くことができますけれど、オリジナルの「テイク・ファイブ」はとても渇いた印象ながら、

サッチャルの手に掛かると(思い込みかもですが)モンスーンの湿った風含みの熱気といいましょうか、

そんな印象になるから不思議なものです。冒頭、シタールによるメロディーがなんともしっくりしてるのですな。

 

と、ラホールに出来たサッチャル・スタジオに集ったパキスタンのミュージシャンたちが

何故にジャズに取り組み、その名が(サッチャル・ジャズ・アンサンブルとして)知られ、

ニューヨーク公演に招かれてウィントン・マルサリスと共演するまでになったのか、

ドキュメンタリー映画「ソング・オブ・ラホール」を通じて知ったのでありますよ。

 

 

中央アジアに始まりやがてインド亜大陸全域を治めたムガール帝国の時代には首都であったともいうラホール、

この地にはしっかり音楽文化が根付いて、数多くの音楽家がいたのであるそうな。

さりながら現代に至り、1977年のクーデターによる軍事政権、そしてタリバンの台頭などにより

音楽は罪でして、音楽家たちは最下層のカーストに位置付けられることにもなったとか。

 

当然にして音楽家として生計を立てる道は閉ざされ、伝統音楽の歴史は風前の灯に。

それでも、活動を続けた音楽家たちと彼らを支えるべくサッチャル・スタジオも開設され、

少しずつ活動を再開するも、すでに伝統楽器による伝統音楽に耳を傾ける者も少なくなっており…。

 

この逆境を跳ね返す手段として取り組んだのがジャズなのですなあ。

世界に通用するジャズを切り口に、伝統楽器の音色、さらには伝統音楽そのものにも接してもらいたいと。

されど、何ゆえにジャズであるかとなれば、アメリカが派遣したジャズ・アンバサダーの影響でるあるようで。

 

冷戦時代、自由主義国のトップに君臨したアメリカは文化の面でも自らの陣営の覇権確保とばかり、

世界中にジャズ・アンバサダーを送り込んだということですが、このジャズ大使たちというのが

デューク・エリントンやルイ・アームストロングらの大物ばかり。

パキスタンでも彼らジャズ大使の演奏が行われ、強い印象を残したようでありますよ。

 

考えようによっては(というより、まあ、明白なことですが)音楽の政治利用なわけですけれど、

その政治性がもはや忘れ去られても音楽が残した強い印象は人々の中に生き続けているとなれば、

結果的に利用されたのはどっち?てな気にもなるところです。

 

とまれ、そんなことで冒頭のお話に繋がっていくわけですね。

よりによって「テイク・ファイブ」という、拍子ひとつとっても5拍子という珍しい曲をどうして取り上げたことか。

もしかすると、この西洋音楽にとっては珍しい拍子も、むしろラホールの伝統音楽には

馴染みやいものだったのかもしれませんですね。

 

それでも、ジャズの語法を消化するのは大変なことであるものの、

これを何とか自分のものとして動画を作ったところ、これがBBCの目に留まり、世界中に配信。

さらにこれをウィントン・マルサリスが見て、彼らと共演を望むことになったというのですなあ。

 

同時多発テロ事件から十数年経ってはいるものの、イスラム系の人々に注がれる眼差しは厳しいものがあり、

サッチャルの一行もニューヨークで入国審査にはずいぶんと時間がかかったようす。

このことを振り返り、話をしたミュージシャンのひとりがタイトルに引いたひと言をもらすのですよね。

「パキスタン人は芸術家でテロリストじゃない」と。

 

リンカーンセンターで行われたマルサリスのビッグバンドとの共演は大成功で、

つい、音楽に垣根は無いといったありきたりな言葉が思い浮かんだりしてしまいますが、

この成功の後(日本で公演があったりもしたそうですけれど、さらにその後)彼らの音楽は

どんなふうに受容されているでありましょうか。

 

冒頭に奇しくも「瞬間風速的」などという言葉を使ってしまいましたが、

必ずしも世界のスーパースターのようにならずとも、ラホールで、パキスタンで、

のびのびと音楽を展開し、それを楽しむ人々が増えているようであればいいですなあ。