CD「寺内タケシ・ライブ・イン・モスコー」のライナーノーツに

ソ連ツアーに赴いたメンバーによる座談会の書き起こしが掲載されていたのですけれど、その中に

「(ソ連の)生活面で感じたことですが、生活物資の無さ、日本の20年前位の感じ…。」と語る声がありました。

 

かのツアーは1976年ですので、その20年前位の日本といえば高度経済成長期に差し掛かった時分。

ですが、ざっくり20年くらい前と言っているのは、成長期にかかる前、戦後を引き摺っていた時代を思って、

あの頃のようなと言っているのではなかろうかと思ったり。

今となっては想像するしかないものの、そのくらいにモノが無いというのが、

1976年のソ連の日常だったのかもしれません。

 

さりながら、社会主義の本来は貧富の差が無く、それぞれにほどほど感的に物資は行きわたり、

そういう点ではある意味、「理想」とも思える状況を作り出すものなのではなかったろうかと。

 

それだけに、いち早く革命を成し遂げたロシア=ソ連には世界中からその動向が注目されていて、

よもや社会主義という実践がうまく行っていないというようなことを他の国々に悟らせてはならない、

指導者たちはそんなことを考えてしまったのではないですかねえ。

映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」を見ても、やっぱりそんなふうに思ったりするわけでして。

 

 

時は第二次大戦前夜、台頭著しいナチス・ドイツに不穏な空気が流れる一方、

どこの国も世界恐慌下で喘いでいる中、ひとりソ連だけが好調であると喧伝されているのですな。

 

いったいどうやって帳尻を合わせているのかを解き明かすべく、

英国人ジャーナリストのガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)は単身ソ連へと向かうのですな。

かくいうガレス自身も、どこか社会主義の理想を思い描いているところがあり、

成功の秘訣が目の当たりにできるのではないかという思惑もあったわけですが、

謎はウクライナにありと聞き及んで出向いたウクライナで見たものは…。

 

いわゆる「ホロドモール」として知られる大飢饉がウクライナを襲っていたわけですが、

飢饉と言いながらも天災というよりは人災、ソ連政府による農地収奪によって

土地を奪われた多くの農民が餓死したと。その数は何百万人にも上るということなのでして。

 

ソ連の計画経済政策のひとつに集団農場というものがありますけれど、

これこそ社会主義の理念からすれば理想的なあり方とも目されたところながら、

実際には外貨獲得のドル箱であるウクライナの小麦をめぐって「十公零民」の状態、

江戸時代の農民と比べるのもなんですが、情け容赦無いありようだったのですなあ。

 

社会主義という、ともすれば「理想」と見える社会に失敗があってはならない。

そんな見かけにこだわる指導者がいる傍らで、数多くの農民が飢えに苛まれる現実を目の当たりにして

ガレスは黙っていられなくなるわけですが、組織的隠蔽の手にガレスが嘘つきよばわりされそうにも。

 

考え方として理想的なところがあったとしても、それを実践するのが残念ながら人間であること。

これが理想が敵わない一番の理由でありましょう。実に実に悲しい現実ではないでしょうかね…。