「エレキの神様」として知られた寺内タケシが亡くなったのは先月(2021年6月)ですけれど、

その後しばらくして「寺内タケシさん、40年越しの極秘和解 全国初「禁止令」の足利市と」てな記事を

見かけたのですなあ。世に「エレキ禁止令」なるものが広がり、その震源地が栃木県足利市で、

長年、寺内と足利市は犬猿の仲であったのが、去る2009年に40年越しの和解に至っていたということで。

 

個人的には寺内タケシという名を知っており、エレキギターのプレーヤーだという知ってはいても、

「エレキの神様」と言われてもピンとこない程度にニアミス世代でありますので、

訃報に接したときには「…であるか」という感じでありましたけれど、後の記事を見た時に、

エレキ=不良という思い込みと長年闘ってきたことを知ったのでありますよ。

 

先の記事に曰く、1965年に足利市内で開催された「野外フェスで未成年の飲酒や喫煙など

不適切な問題が発覚した」ことから、足利市ではエレキギターを買うこと、バンドを組むこと、

さらにはエレキの出てくるTV番組を見ること、こうしたことを禁止する方向で自粛を促したそうな。

この取り組みが広くマスコミに取り上げられ、全国に波及したというのですなあ。

 

こんな話を記事で目にしたときに、「ああ、何か似てるなあ」と。

関連性が全く無いとは言えないものの、現象が生ずる原因はそこじゃあないだろうにということでして、

酒の提供=コロナ感染という昨年来の政府・自治体の対応のことなのですよね。

 

今さらここで言うまでもなく、酒を飲むことで感染が広がるわけではありませんですよね。

それが二人、三人と人数が増えたところで大騒ぎするでなく、それこそ節度をわきまえて

(この「わきまえる」という言葉は昨今、某元首相のせいですっかり株を落としておりますが)

酒を交えた飲食をする分には大きな問題にはなりそうもない。

 

そりゃあ、家にいてじい~っとしているよりは些かのリスク増にはなるかもですが、

それが即クラスターを生むとかいうことでもないとは、昨年来の経験からして誰もが感じているところかと。

さりながら、相も変わらず行政は酒の提供=コロナ感染としてこれを制すれば全て丸く収まるかのように

自粛を求めるばかりなわけで…。

 

学校の校則などにもありますけれど、例外を許すと収拾がつかなくなるから一律に

「とにかくダメ!」と言っておけば、後で何かあっても「だから言ったじゃないか」と言えるための

予防措置(保身措置)でしかないようにも思えてくるところです。いやはや…。

 

そんなことをつらつら思い巡らしているときに、ふと近隣市の図書館で新着CDのコーナーに

「寺内タケシ・ライブ・イン・モスコー」なる一枚を発見、借りてみたのでありますよ。

 

 

寺内タケシとブルージーンズの面々が1976年にソ連横断ツアーを行い、

最終地モスクワでのライブが音源になっている一枚ですので、いわゆる再発ものですけれど、

寺内の訃報があって図書館でも新規購入したのでしょうか。

 

ともあれ、このときのソ連ツアーの発端は、白血病で死の床にあるノボシビルスク在住の少女エリーナが

たまたま耳にした寺内の音楽に日本の香りを感じて、彼女の聴きたいとの願いを寺内が伝え聞いたところに

あるというのですね。

 

当時なかなか行き来がままならないソ連と日本、そこを何とかしてしまうのが寺内の男気あるところとは、

先に触れたように、エレキ=不良という思い込みと長年闘ってきたことと同じものかもしれません。

 

自ら作曲した「いとしのエリーナ」という曲を引っ提げてソ連に赴き、

ノボシビルスクを皮切りに52日間、40回のコンサートを大成功理に成し遂げたという。

で、そのライブ盤を聴いてみたわけですが、これまでおよそ聴いたことがなかった寺内の音楽ですけれど、

エレキ=ロックだということも思い込みだったのだなあと改めて。

 

寺内はエレキギターに魅せられたとは聞きますが、

それはエレキギターが当たり前に使われているが音楽に、ではなくして、エレキギターという楽器にそのものに

魅せられていたのであるかということも、今回初めて知ったような次第です。

 

寺内の演奏する曲には、例えばこのCDにも元禄花見踊りやノーエ節、津軽じょんがら節などが含まれ、

なるほどノボシビルスクの少女が「日本」を感じたのも宜なるかなと思うわけでして、

エレキギターという楽器を使って演奏できる曲をとにかくやってしまおうという方向性でもあろうかと。

 

かつて寺内の音楽に接してこなかったのは、

エレキギターでじょんがら節?!てな思いが(特に若い頃には)あったわけですが、

その後にだんだんと津軽三味線そのものにもいささかの興味が出て来て「じょんがら節」なども

自ら聴きにかかるようになってきますと、今さらながら寺内の音楽を受容する準備がようやく整っていたと、

まあ、そんなふうに言えるところかもしれません。

 

一方で、日本古来のメロディーではない音楽の代表として「いとしのエリーナ」を耳にしますと、

いわゆるエレキの代名詞的なテケテケのベンチャーズふうサウンドには何やら懐かしさも覚えますなあ。

 

考えてみればベンチャーズはアメリカのバンドではあるものの、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」とか

渚ゆう子の「京都の恋」であるとか、日本の歌謡曲にもそのメロディーを提供しているわけで、

実はベンチャーズ・サウンドが日本を醸すことに違和感の無いようすも窺える。

そうなれば、寺内タケシにおいてをやともなりましょうか。

「いとしのエリーナ」はそんなノスタルジックな一曲なのでもありますよ。