学級崩壊とまでは言わずとも、どうにも教室の中ががちゃがちゃしており、
授業をやるような状況でない生徒たちがいて、そこに音楽を持ってきて集中させること、
何かに気付かせることを描いていた映画を、先日2つほど見たところでありました。
フランスの「オーケストラ・クラス」と、ブラジルの「ストリート・オーケストラ」と。
もしかしてもイタリアの学校でもおんなじような騒がしさがあるのであるかと思いつつ見てみたのが
「ローマの教室で~我らの佳き日々~」という一本でして、どうやら音楽は関わってこないだけに、
例えば「ごくせん」とか「野獣教師」とか特異?なタイプの教師が生徒を導くてな話であろうと
思ったりもしたものです。
と、フライヤーを見てみると分かりますように、生徒たちは上の方の集合写真にごちゃごちゃっと、
その代わりにクローズアップされているのは3人の教員なのですなあ。
真ん中には校長のジュリアーナ。
「自分たちは勉強したって何も分からないし、何も変わらない」として
刹那的な生き方に向かってしまう生徒たちを抱える学校の校長である彼女は
それこそ自分なりの尺度でもって、学校をきちんと運営することに心を砕いて、
家庭を顧みることもままならず、夫との関係もぎくしゃくしている。
自分は一所懸命やっているのにという思いは人一倍であろうところながら、
だからといって一所懸命の矛先はただただ学校運営がスムーズに行くことであって、
生徒との関わりも淡々としたものなのですな。
左側の老教師フィオリートは生徒たちには怖い存在。
ですが、それも美術史を教えるという自らの職分をひたすらに進めるだけを考えている。
生徒がそれを理解しようがしまいが関わりなく、どのみち生徒は毎年の出入りで移り変わるものとして
その場その場で自分の講義を行うだけと、ジュリアーナ以上に冷めたものでして。
一方、右側の若いジョヴァンニは代理教員として着任したばかりながら、
というよりだからこそでしょうか、生徒に対して実に教育熱心な熱血漢というところでしょうか。
当然にして生徒との距離を近く持って、何かと生徒のことを心配してかかったりするわけです。
いささか淀みがちであった生徒たちの目が、教師との交流を通じて輝くまなざしに変わった…という話なら
それこそ山のようにあるわけですが、この映画で変化が兆すのはこの3人の教師たち、
そこがいささか変化球であって、青春ものという以上に大人のドラマとなっていると言えましょうか。
生徒のそれほどに将来があるとは言えないかもしれませんけれど、若者ではなくとも日々生きて、
先の長さはそれぞれながら変わることがあっていい、そんなことを見ている側に気付かせてくれるわけです。
ジュリアーナはあまり生徒個人と関わることなく過ごしてきたわけですけれど、
母親が行方をくらます中で病気になってしまった生徒に対して行き掛かり上世話を続けるうちに、
校長となる前、もともと教師になろうとした頃の思いを思い出していくようなところがあります。
フィオリートは冷徹な姿を見せて生徒との関わりを経ち続けて幾十年だったにも関わらず、
卒業生の一人から「先生の授業を、そして先生を懐かしく思い出す」的な手紙をもらって動揺しつつも、
生徒への向き合い方に生気を取り戻していくのですね。
そして、ジョヴァンニはひたすらに熱い思いで臨んだ生徒から「誘い」を受けるという誤解が生じ、
関わり方の匙加減を学んでいくことになります。
本来のタイトルはイタリア語の「Il rosso e il blu」、赤と青ですね。
色それぞれが何かしらの意味合いを暗示することはよくあって、
ここでそうした含みがあるかはわかりませんけれど、単純に赤は熱く、青は冷めた印象。
それぞれジョヴァンニ、そしてジュリアーナとフィオリートのことでもありましょうか。
邦題のイメージとは異なって、やはり大人のドラマであったとタイトルからも改めて思うところなのでありました。