先に『チーム・オベリベリ』を読んでいて思い出したのですけれど、
しばらく前に読んだ『いま学ぶアイヌ民族の歴史』の中に、かような一節があったのでして。
これまで人類社会の歴史は、狩猟・採集から農耕・牧畜へと移行し、やがて都市国家が成立するという段階発展的な流れで社会発展を基礎に理解されてきた。しかし、狩猟・採集や農耕・牧畜という生活様式の違いは、生活環境への適応の仕方と食料資源利用の違いでしかない。生活様式の出現時期や生活技術の違いは集団の優劣を示しているのではないし、狩猟・採集が原始的な生活様式であり、農耕・牧畜がより進んだ生活様式なのではない。生活様式の多様性は、地球環境の多様性とそこに適応した人類文化の多様性の反映と理解すべきである。
こうした思い込みは確かにあるような気がしますですね。
過去から未来へとつながる時間進行の中で、過去よりは現在、現在より未来の方が
なにくれとなく「よりよく」なっているであろうと。
『チーム・オベリベリ』でも帯広に開拓に入った晩成社の人たちは、
北海道の原野でこれまでに経験したことのないあれこれの苦難に遭遇しますけれど、
ことあるごとにアイヌの知恵に助けられるわけです。
ですが、農耕を知らない彼らが時に不猟・不漁に苦しんで飢える姿を目にすると
「よっしゃあ、いっちょ農業、教えてやろうかい」となるのですよね。
もちろん、ある程度安定的な食料供給が見込めるのが農業ともいえましょうから、
開拓者の側は「よかれ」と思って教えようとするのですが、
その心中にはおそらく「農耕を知らない」、「未開の」アイヌという受け止め方があったように思えますね。
このあたり、話を大袈裟にしますと、遥か昔に縄文文化から弥生文化に移り変わったとき、
有り体にいって日本列島という場所に暮らす人々が狩猟採集から農耕へと生活様式を変化させたとき、
そこにも前にあったものから新しく置き換わったものこそが良いという受け止めた方があったものと思います。
狩猟採集は自然からの恵みを受け取る形ですけれど、農耕は自然をある意味で制御して生産する。
ですので、農耕の過程では自然からの巻き返しというと語弊があるかもしれませんが、
さまざまな天災などが降りかかることがあり、これをいかに克服するかに
ヒトは腐心するようになったのではなかろうかと思うところです。
つまりは、後に科学で自然をねじ伏せるような考えの根っこはここらへんにあったのではと。
人類の長い歴史の中で、科学の進歩が果たしてきた役割は言うまでもなく大きく、
それ故に未来はさらに良くなると考えてしまいそうになるところではありますけれど、
どうも科学がもたらすもの、取り分けそれを駆使する人間というやっかいなる者であることを考えるにつけ、
必ずしも良くなるばかりではなさそうだ…と思えてくる昨今なのではありますまいか。
環境に適応するというのは、環境をねじ伏せることではなしに
折り合いをつけるという「ほどほど感」が実は必要なのではなかろうかと思うところです。
いろんな点で人間には欲があって、なにくれとなく「もっともっと」となりがちですけれど、
どうにも果てが無いような…。
もちろん、もっともっとという意識がさまざまは発展を生んだとも思ってはおりますが、
もはやそれを盲信してかかることはできない、そのことに十分に人間は気付いておりましょう。
なれば、やはり世の中は変わっていかねばならないわけで、
コロナ禍というのはその転機でもあるのかもしれませんですね…。