たまには日本の映画でもということで「カツベン!」なる一本を見てみたのですなあ。
話が面白いかどうかはともかく、これはこれで
日本の映画黎明期に対するオマージュではありましょう。
確かに活動弁士が華やかに活躍していた時代があったということで。
映画のおしまいのところでしたか、稲垣浩監督の言葉として引かれるのがこれですね。
かつて映画にはサイレントの時代があった
しかし日本には真のサイレントの時代はなかった
なぜなら「活動弁士」と呼ばれる人々がいたから
これからしても、カツベンの活躍はひとえに日本固有のものなのでもありましょうかね。
でもってふとこのことを考えてみるに、
日本には映画が入り込む以前から一人語りの「語り芸」があったからではと思えたりも。
落語、講談、明治になっても女浄瑠璃が大流行りしましたし、後発的には浪曲も人気を得ますですね。
これらは全て一人語りの「語り芸」なわけです。
また、脇で語るのを聴きながら目の前の人形の動きを見る文楽も根付いていたでしょうし、
文楽から歌舞伎が取り入れた義太夫狂言も、人が目の前で演じるとはいえ、
セリフを全部役者が語るでなく浄瑠璃の太夫にお任せの部分が多くあるわけですね。
脇からの語りに合わせて人形や役者の動きを見る、その動きの部分が
映画というフィルムに収まったものを上映する形に変わりこそせよ、
弁士が映画を語るにおいては旧来馴染みの娯楽の形態とおよそ変わりはなく、
日本人にはむしろすっと入り込める世界だったのではと思ったりもしたわけです。
この映画の中では永瀬正敏演じるかつての人気弁士山岡秋聲が、
ふとした気付きで弁士の語りを空しく感じることになったらしいところが出てきますけれど、
秋聲の気付きというのは「映画は映画で完結しているのに」ということ。
敢えて語りで補おうとするのは屋上屋を重ねるがごとしというわけですね。
カツベンという役割が日本固有なのかどうかはともかく、
映画の作り手としてはサイレント時代であったとしても、映画としての作品の完結性は意識していたでしょうし、
よもや脇から長々説明が入らなければ理解されないものとして映画を作っているわけではない。
ですが、現実に音声が無いわけですから、それならば文楽よろしく太夫の役を映画にも置けばいいと
日本ならでは受け止め方だったのかもしれませんけれど、よくよく考えれば、
余計な手を加えて映画そのものの味わいを遠ざけていると言えないこともないわけです。
主人公・俊太郎が専属弁士となっていた映画館が火事になってしまったとき、
数々のフィルム(非常に燃えやすいものなのですな)の断片ばかりが残されて館主は頭を抱えますが、
使えるフィルムを適当に繋ぎ合わせても、弁士の話芸によってあたかも一本の映画のように見せてしまうという
マジカル語り芸が披露されることになりますですね。
いみじくもこのことが本来の映画作品を別物としてしまっている弁士の姿が浮かびあがるような。
やがて映画はサイレントからトーキーの時代へ。
そのフォーマットの違いは、音声が無い状態で伝えられる作品作りとは全く異なる大転換であったことでしょう。
さぞや監督も役者たちも苦労したものと思います。フランス映画の「アーティスト」などもそんな一本でしょうか。
ま、こうしたことと同様に弁士の出番はなくなってしまう。活躍した時期はひどく限られていたのでないでしょうか。
明治以降の時代の移り変わりの速さを象徴しているようにも思えたものなのでありましたよ。