三度の緊急事態宣言を前にして、またしてものこのこと池袋まで出かけてまいりました。
「明日には宣言が出てしまうので、今日のうちに」といった駆け込み需要が生じて?
巷は人出で大賑わい…てな話が一日の終わりにが聞こえてくるにつけ、
人出の総体の一部になってしまったかと忸怩たる思いがなきしもあらず。
読売日本交響楽団の演奏会を聴くというのが「不要不急」の対象外なのかどうか、
しかも当日券を求めて馳せ参じてしまったわけではないときに、
このこと自体、年間会員券を予め持っているからと豪語できることなのか、
このあたり見解の分かれるところかとは思いますけれど、取り敢えず…。
今回の演奏会はフランス音楽尽くしでありまして、
ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番、
そしてラヴェル編曲版のムソルグスキー「展覧会の絵」がメインプロになっておりましたよ。
先日読んだ『オーケストラ 知りたかったことのすべて』では、
フランスの個性の立った楽器についてたくさん触れられていたものですから、
そうした自国の特有な楽器の音色ありきで作曲された フランスの音楽にはそれなりの臨み方があって、
その意味ではプログラムをフランス一色にした方がオケにとってもやりやすいことなのかなと
思ったりもしたものです。
思い出してみれば、先日のEテレ「クラシック音楽館」では没後50年になるストラヴィンスキーの特集でしたが、
その中でエサ・ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管によるバレエ音楽「春の祭典」の演奏があり、
ご存知のようにファゴット・ソロから始まって…と思ったところが、「おや、これはバソンでは?」と。
先の本のことを書きました折、ひとつの例としてドイツのファゴットとフランスのバソンは
似ているけど違う楽器とも受け止められ、見た目の違いとしては細長い円筒形の頭頂部に
白い輪っかがあるのがファゴットということながら、フィルハーモニア管の3本ならんだ楽器のうち、
冒頭のソロに当たった楽器のみ白い輪っかがないものでしたので、よもやバソンか?と思った次第。
あれだけたくさんの楽器をステージに挙げてしまう曲ですから、ストラヴィンスキーは音色にこだわりがあり、
フランスではファゴットでなくバソンが使われていたであろうことを当然意識もしたであろうと考えれば、
やはりソロにはバソンを、それ以外にはオケに溶け込みやすいことを意識してファゴットをと、
指揮にあたったサロネンが指定したのかもしれませんですね。
また、トランペットもかなり刺激的な音が求められる曲であることからピストン式の際立つ音色なのだなと思うと、
同じオケの中に、ロータリー式(こちらもどちらかというとオケに溶け込みやすいようで)が一本だけ交じるという、
このあたりもやはり意図的なものだったのでしょう。
もっともバソンなのか、ファゴットなのかという点に関して、TVの音声そのままをぼんやり聴いていただけでは
確かな音色を判別するところまではいかなかったので、想像の域を出ない話ではありますが…。
と、すっかりフィルハーモニア管の「春の祭典」の話になってしまってますが、
要するに冒頭にも触れたように今回の読響演奏会は「フランス音楽尽くし」と考えたことによる絡みだったわけで。
しかしながら、演奏会を聴いて予めの思い込みが拭われたということを正直に言わねばなりませんなあ。
ベルリオーズもサン=サーンスもフランス音楽といって差し支えは無い。
一方、「展覧会の絵」はもともとのピアノ独奏曲に、ラヴェルがオーケストラというパレットでもって
華麗な色彩感を与えたものであって、取り分け管楽器の個性をとことん使った編曲が
「ああ、管の国フランスらしい」と受け止められたところから、フランス音楽と言っていいのでは思ってしまったような。
とはいえ、「ロシア的な五音音階の主題がトランペット独奏で奏される」と今回演奏会のプログラム解説にある
「プロムナード」に始まることのみならず、全編にわたってロシア的なるものを纏っておりましょうから、
それをラヴェルが無理やりにフランス風味でくるんでしまったはずもないわけでありまして。
金管楽器の重厚な響き、そしてこれまた数々の小物が多用されるパーカッションなどからも
「ああ、ロシアだったんだ…」と今さらながらに気付かされた次第でありますよ。
そんなことで、終曲「キエフの大門」に至って特にオーケストラの分厚い音圧に身を浸すことになったわけですが、
その実、ここまでの本来のプログラムが終わったところで、指揮者のコバケンが例によってマスクごしのひと言を。
曰く、翌日も同じプログラムの公演のはずが(緊急事態宣言によって)キャンセルになったことで、
実は今日だけの演奏になったということ、たぶん自分を含めて聴き手の側ではそのことを皆知らなかったでしょう。
オケの面々は始まる前にも知らされていたかは分かりませんけれど、
このほどの緊急事態宣言は一応5月11日までとはなっているものの、決して出口が見えてはいない。
演奏する側として、この後またホールで演奏できるのはいつになることか…てなふうにも思ったかもしれませんね。
そんな話を聞かされた後だけでに、
アンコールとして演奏されたカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲は沁みたですなあ。
前回3月公演を聴いたときには、オケの生音が久しぶりとあって、音が体に染み入るようだと感じたですが、
今回はじんわりと心に沁みました。曲としては今さら的にいささか手あかのついた名曲の類ともいえますけれど、
音楽を聴いて涙が浮かぶ経験は、実に実に久しぶりのことでありましたよ。