いやあどうも分厚い本を手に取って、読み終えるのにずいぶんと時間がかかってしまいましたなあ。
持ち歩くに重く、寝転んで読もうとしてうっかり取り落とすと顔面がきけんというハードカバー500頁余、
おそらくは電子書籍の利便性はこのあたりにもあろうかと思うところながら、それでも冊子形態から離れない。
ま、守旧派なんでしょうかね。
それはともかく、ようやっと読了したのは『オーケストラ 知りたかったことのすべて』という一冊。
タイトルからすれば、「これからオーケストラの音楽でも聴いてみるかいね。では、その前にこれでも…」と
つい手を出しそうな気にさせもしようかと思うところながら、実に実にマニアックな内容であったわけでして。
著者のクリスチャン・メルランという人は、リールの大学で音楽学を教えている一方、
仏紙「フィガロ」で音楽批評もしているという音楽評論家でもあるようす。
好きが高ずるとこんなふうになるのだなあと思うところですけれど、
長年にわたり自国フランスのオーケストラはもちろん、欧米各国のオケの動向に目配り怠ることなく、
パートごと、はたまた個人ごとに奏でる音色の違いから誰の演奏であるかを特定できるというのですなあ。
あたかも野鳥のさえずりから、その個体の違いを識別できるがごとしではありませんか。
もっとも、例えば人の声はさまざまで、それによって誰かを判別することは不可能ではないですから、
鳥の鳴き声ならずとも、楽器の音色にしても千差万別であるわけで、よくよく耳を傾ければ
違いを識別することは(理屈としては)できないではない。
ですが、そうなるにはやはり好きが高ずると…てなふうに思うところです。
本書ではオーケストラを構成する楽器それぞれに関して詳述する部分がありますけれど、
もしも「これから聴いてみようかな」という人向けであれば、おそらくは楽器の音の高低、特徴などを
分かりやすく説明するところかもしれません。されど、この本には、先にも触れた奏者ごとの違い、
そして奏者の性格などにも触れているだけに、ずらりずらりと個人名が出てくるのでありまして、
ほとんど知らない名前の羅列は、分かる人にとっては興味の尽きないところでしょう、
一方、そこまででない人には目が追うのを厭うようにもなってくるところかと。
そうはいっても、もちろん興味のそそられる部分もないわけではありませんで、
そのひとつがオーケストラという集団というか、組織というか、そういう点でありまして。
そもプロのオーケストラに入団するような人というのは、長らく音楽教育を受けてきて、
世に出る登竜門としてはコンクールなどがあり、これに挑戦し、勝ち抜くことによって存在感を示す、
そんな行動様式?があろうかと思うところです。
さりながら、オーケストラとは個々の技量をいかんなく発揮する場、というよりは
たくさんの人の集合体としてあたかもひとつの楽器であるかようなところがありますから、
あまりに「個」を際立たせてばかりもいられない、むしろ溶け込む方向がかなり求められる気がするのですね。
そう考えると、オケに入るまでにやってきたこととオケに入ってからやることとの間にものすごくギャップが
あるように思えるところなのでもありますよ。
おそらくは本音ベースと思われる奏者たち(ソリストに対してトゥッティストよ呼ばれるそうな)の話には、
全体に溶け込む、言い換えれば埋没する割り切りの難しさが語られていたり。
一方で、楽器を長年やってきてやっぱり全体の調和こそ安住の地と思うタイプもいるようですねえ。
管楽器に言えることですが、吹奏楽あがり(といいますか)の場合にはバンド演奏の形態に馴染んでいるので、
オケという集合体にも溶け込むのがうまそうでもありますね。
そうした個の集合体であるオーケストラですけれど、ひとつのオーケストラ自体にも個性があるとはよく聞く話でして、
楽曲との相性で語られることもあろうかと。ざっくり言えば、お国ものの楽曲にはその国のオケの音がいいとか。
ドイツの音楽にはドイツのオケ、フランス音楽にはフランスのオケが馴染むといった具合ですね。
これは、民族的な気質(確たるものとして言えるのかは分かりませんが)の反映でもあるかと理解されがちながら、
各国のオケの構成員が多国籍になっているにも関わらず、相も変わらず言われ続けるにはやはり何かあろうかと。
ですが、そうした個性の現れるひとつに楽器の違いがあったのですなあ。
例えばドイツの(というか一般的な?)ファゴットとフランス固有種のバソンとの違い。
楽器も長い間に進化しているわけですけれど、時にガラパゴス的進化を遂げるものがあるようで、
フランスのバソンなどはまさにそのひとつでもありましょうか。
その音色について、とあるサイトの説明からこれまたざっくり言ってしまいますと、
ファゴットが溶け込みやすい重厚感でもって合奏向きだとすれば、バソンの方は華やかでソロ向き、
つまりはオケの中では浮きがちにもなるてなことのようで。
フランスのオケは管楽器のきらびやかさで語られることがあったりしますけれど、
バソンひとつとっても音色そのものがすでに違うということで、そのバソンが使われることを前提として
フランスの作曲家が書いた作品の演奏には、やはりファゴットでなくバソンを用いてこその印象がある、
と言われてみればなるほどなあと思うところです。
なにも小鳥の鳴き声を聴き分けられるほどになりたいとも思っているわけではありませんですが、
これまではかなり漠然と「オーケストラの音」として聴いていたところがあるものの、
遅まきながらももそっと「個々の(オーケストラを構成する)楽器の音」にもよおく耳を傾けてみるといたしましょうか。