世の中には本当にいろいろなことを研究している方がおられますなあ。
イグノーベル賞の研究内容などを見ても、よくまあ、そんなところに目をつけたものだというものも。
最寄りの市立図書館に立ち寄った際、最近入った本のコーナーで見かけた一冊、
それがお目当てだったわけではありませんですが、タイトルに釣られて借りてきたような次第。
曰く「電柱鳥類学」、岩波科学ライブラリーの一冊です。
鳥を研究する鳥類学の中に「電柱鳥類学」なる一分野が確固たる位置づけで存在しているわけでは
さすがないようですけれど、主に山野を棲み処にしていたり、河川を棲み処にしていたり、そうした類を
専門的に扱う分野はあるようで、そうなれば確かに電柱にとまっている鳥がおり、しかもどんな鳥でも
電柱にとまるわけではない…となってきますと、電柱と鳥類の関わりを探求することがあってもいいのでは、
著者はそんなふうに考えたのですなあ。
電柱、あるいは電線に鳥がとまっている姿は確かによく見かけるところですけれど、
これまた確かにどんな鳥でもとまるかといえばさにあらず。
カモのように足がひらべったく水かきがついているような鳥は電線にとまろうにもとまれない。
もっともカモと似た足である鵜(鵜飼で魚を獲るのにつかわれますから泳ぎも上手で水かきがあるのでしょう)は
電柱にとまったりするのだそうでありますなあ(もっとも、東京では見ることはできないでしょうけれど)。
そんな電柱、電線と鳥との関わりとして古くから言われる疑問に、
「鳥はなぜ感電しないのか」というものがありますね。
分かったような分からないような、ついついそのままにしてしまう疑問ですけれど、
ようやくこの本ですっきりしましたですよ。
まずもって電線は絶縁体に被覆されているということ、
つまりは電気を通している線がむき出しになっているわけではないということなのですな。
ただそれでおしまいではあまりにあまり、もそっと科学的な話になりますれば、
もともと電線が電気を通しやすい(抵抗が少ない)のに対して、鳥の体は抵抗が大きいのであると。
電線にとまっている鳥の、片方の足からもう片方の足へと電気の通路にバイパスができたとしても、
多くの電気は通りやすい方を通過するので、(全くとは言わないものの)およそ鳥には影響が無いのだそうです。
実は同じことがヒトの場合にも言えるようで、仮にヒトが電線に両手でぶら下がったとしても感電しない?!
ですが、中空にぶら下がったまま、体の一部でもその電線以外に触ったらたちどころに電気が体を通りぬけるとか。
これは鳥にとっても同じことで、一本の電線にちょこなんとしている分には問題なしとしても、
別の電線にも触れてしまうとか、電柱部分に触れてしまうとか、これは完全にアウト!だそうで、
こうした鳥由来?による停電事故というのが全国で年間に500件余り起こっているのだそうですなあ。
もっとも、一本の電線を目指して舞い降りた鳥が着地に失敗して、変なとこに触れてしまったというよりも、
カラスが電柱に作った巣に針金ハンガーが混じっていて接触し…なんつう方が多いようではありますが。
ちなみに「カラスは賢い」とはよく聞くところながら、巣に利用しようと針金ハンガーを調達するのに、
干してあるTシャツを振り落として、ハンガーだけ物干し場から持ち去るという離れ業?もやってのけるとなると、
あらら、洗濯物が飛ばされて…などと思っていると、実はカラスの仕業だったりするかもでありますよ。
とまれ、「電柱鳥類学」を標榜するからにはひとつの研究領域となりますので、
それには「問いを立てる」ことが肝要なところでして、そうした問いのひとつには
「鳥は電柱が好きなのか」なんつうものもあったりするのですな。
さまざまな問いを立てて観察などを通じて解き明かしていく努力をするわけですが、
レアな分野なだけに成果のほども道半ばながら、そのも研究成果を本書は、
というより、岩波科学ライブラリーのシリーズでしょうは、でしょうか)
平易に説明してくれておりますな。例えなどもたくさん交えて素人にも分かりやすいように。
難しいことを難しいままに語るの(ある意味)簡単で、難しいことを易しく説明するのは難しい、とは
よく言われるところですけれど、こうしたことに対して本書の著者からは次のようなひと言が。
しかしミクロな物理現象を、目に見えるものや形あるものに置き換えて理解する癖をつけると、いつか理解の限界がきます。…わからなくてもそのまま飲み込ませる教育も必要だと、最近、強く感じるようになってきました。そういうものだと無理矢理に飲み込んで思考を重ねていると、あるときふっと理解できる瞬間がくるからです。
必ずしも分かりやすく説明してやることが学びの向上につながるわけではない。
かつて「ゆとり教育」の名の下に、円周率を「3」として計算させるようなことがあったようですけれど、
なにやらこうした安直な発想への警鐘のような気もしますですなあ。
学問に王道無し、難しいものは難しいままにすとんと落ちるまで思考を重ねることとそ大事なのですな。うむ。