展示が変わったようですので、歩いてもいける最寄りのたましん歴史・美術館へ。

といっても、例によって緊急事態宣言でもって休館になりましたので、立ち寄ったのはその前ですが…。

 

先日は「たましんの洋画」という展覧会でしたけれど、続く展示は「たましんの日本画」というもの。

まあ、いずれもコレクション蔵出してなところかと思うものの、実は併設とされた古陶磁コレクションの方が

展示スペースは大きかったのですけどね(ちなみに「たましん」というのは多摩信用金庫のことです)。

 

 

取り敢えずは古陶磁器を見て回りましたですが、

紀元前とかいうことになりますともはや考古学的な遺物でもあろうかと。

 

どの作品がどうということよりも、日本では埴輪の時代だった頃、中国では三彩や白磁が作られていた。

さらに遡って日本では弥生時代後期、中国の後漢では釉薬を使って光沢ある陶器が作られ、

墳墓の副葬品とされていた…。ここから少しずつ少しずつ日本のやきものは学んでいったのですなあ。

 

てなことを思い巡らした後、さて日本画の展示コーナーへ。

最初に置かれた解説には、日本画なるものについて説明がありましたですよ。

まずもって日本画とは「日本以外の絵」の対概念であるとして、さらには「技法・材質の観点から定義するならば、

絹もしくは紙に、墨、岩絵具(顔料)、染料を用いて描かれた絵のこと」と。

 

のっけは「うんうん」と思っておったものの、展示の中ですぐさま版画に出くわしたとき、

おやおや、先の解説はもっぱら肉筆画を意識していて、片手落ちでないの…と思ったり。

 

そこに見る前田常作の「西国巡礼」というシリーズ作品は仏像をモチーフにしているだけに

日本風(東アジア風?)と思える絵柄なわけですけれど、リトグラフ作品であって、

鮮やかな色遣いとデザイン性の点でも(モチーフはモチーフとして)むしろポップアートを思い浮かべてしまう。

そうした印象であるときに、これは日本画であるかといったことを考えても詮無い気がしたものです。

 

一方で、そのお隣には棟方志功の木版画が展示され、

これもまたカテゴリーとしては前田作品と同じく版画なわけですけれど、

一見して「日本画」であると思えてしまう。何故そう思えるのかは、感覚的にとしか言えないような…。

 

同じ版画でもリトグラフという舶来技法ではなく、木版という昔から日本で使われた手法であるとかいうだけでは

説明はつきませんですね。やはり仏の姿を描いて、どちらが写実的であるかといえば圧倒的に前田作品で、

棟方の仏の姿は昔話の登場人物のようでもありますし、色遣いにしても棟方の彩色版画は色とりどり。

そこに、水墨画を見るような感覚で、「ああ、日本。ああ、東洋」てな受け止め方のできるものでもないわけです。

 

そんなことがあって、他の作品もまた「日本画?」と思えるものも多々ありながら、

よく見ればなるほど岩絵具だったのか…というような作品を眺めつつ、もはや日本画であるかどうか、

何をもって日本画であるかといった点を考えるのをいったん休止、

そのあたりにこだわってばかりいても…と考え直したような次第でして。

 

地元ネタのような題材で目を止めた「立川市変貌」という、安西啓明の一作も

パッと見、油彩作品なのではという印象で、もはや日本画・洋画のボーダーレスを思ったりもしましたが、

それはともかく1953年、戦後8年目という時期の立川の町を活写しておりましたよ。

 

砂川闘争は1956年ですから、それ以前の米軍立川基地が幅を利かせていた時代でしょう、

横田基地を抱えた今の福生以上に町はあたかも「アメリカか?」というくらいに英語の看板の洪水状態。

BAR、HOTEL、NIGHTCLUB、SOUVENIR、PEARLS、STEAKなどなどなどの文字が躍る景観は

これまたポップアートでもあるかと思えてしまうところかと。

 

そんな中にあってわずかに見える日本語は交通標識の「止レ」と電柱に貼られた「守レ平和」の貼り紙くらい。

「守レ平和」が戦時中のものとは思えませんので、戦後になって貼られたものでしょうけれど、

戦争が終わってから貼られたであろう「守レ平和」の貼り紙には考えさせられるものがあるような。

 

ということで、たましん歴史・美術館で見たこの展覧会、当初の会期が5月9日までということなれば

おそらくこのまま閉幕となるのでしょう。さて、再び美術館が開くはいつになることやら…。