緊急事態宣言が解除されたところも、延長されたところも

暖かい週末の土曜日を迎えたことでありましょう、あちこちで人出の増があったようで。

為政者の側とすれば、「だから言ったことじゃない」と思ってもいましょうかね。

 

予て「コロナ慣れ」、「ゆるみ」などと言われてますが、その受け止めようは人それぞれ。

個人的には宣言が解除されたからと言って、全てが片付いたように動き回れるものとは思っておりませんし、

一方で宣言が延長されたからと言って、ひたすら家に閉じ籠るべきとも思ってはいないわけですが、

その両方に振れる人たちがいるのでありましょう。

 

極端に言えば、前者は再び感染を広げてしまうことになるかもしれませんし、

後者は世の中を眺めて自らの行いに比べ、いわゆる「自粛警察」的な思いを抱くことになるのかも。

 

どちらでもない絶妙のバランス(といってどの程度ということに正解は無いわけですけれど)、

そういう落としどころを考えねばならんのかなあと思うところです。

極端にどちらにも振れないように、つまりは心身の平穏のバランスを保っておられるように。

 

と、前置きが長くなりましたけれど、休日には相変わらず狭いエリアでささやかに体を動かしておりますよ。

で、このほど訪ねたのはJR中央線・国立駅前にある「たましん歴史・美術館」でありまして。

 

お隣の立川に「たましん美術館」が新設されて以来、元々地味な存在であった歴史・美術館の方は

その地味さ加減を増しておりますが、フライヤーに「絵画は、しずかに語りだす」とある絵画の語りかけに

耳を傾けるには最高の環境。何しろ来訪者がほとんどおりませんのでね(存続が危ぶまれますが…)。

 

 

何度か訪ねている美術館ですので、基本的にコレクション展で繰り回すの展示の中には

見たことのある作品もあろうかと思いますが、そこはそれ、美術作品との出会いもまた一期一会ですものね。

何度も見ても新しい気付きがあったり、目にした印象が変わったりすることがあるわけで。

 

とまれ、静かな展示室をゆったり回っておりまして、しばらく足を止めた作品が3つほど。

ひとつは山口薫の「ニースのカーニバル」というタイトルの一枚です。

 

カーニバルは言わずと知れたキリスト教のお祭り、謝肉祭ですので、

けっこうあちこちでやっていて、ドイツではマインツあたりも有名のようですけれど、

世界三大カーニバル(リオ・デ・ジャネイロ、ヴェネツィア、トリニダード・トバゴ)とまではいかずとも

ヨーロッパ三大となりますと、ヴェネツィア、ヴィアレッジョ、そしてニースなのだそうですなあ。

 

そんな盛大なカーニバルを描いた山口作品、

大きな人形の山車が出て、彩りも人出も賑やかなようすを切り取っているわけですが、

仮面の下に素顔が隠されている…といってはヴェネツィア・カーニバル風になってしまうものの、

この賑やかに翳りを見出せる、つまりは表層的でないものが感じ取れるわけなのですね。

 

仮面を引き合いに出してしまいましたように、ついついアンソールの作品を思い出してもしまうところです。

見た目は日本人作品とは思えない雰囲気を湛えているのですよねえ。

 

見ているうちに足を止めた作品のもうひとつ、朝岡寛一郎作の「影」という作品です。

おそらくは東京、水辺の倉庫街の波止場と小さな船を描いた一枚ですけれど、

なにやら朝の静けさに包まれたヴェネツィアのようにも思えてくるのですなあ。

 

水面のようすなども含め写実的に描かれていますので、後ろの建物はどうみても味気ない倉庫ですし、

もやってある船もゴンドラなどでないことは明らか…なのですが、違った景色が見えてくるという面白さ、

これもまた絵を眺めて得られる思いがけない楽しみでもありましょうか。

 

さらにもうひとつ、山口隆夫の「広場」、モノトーンの暗い色調に太めの線が引かれいるだけとも見えるところながら、

じいっと見れば思いのほか黒の影にはたくさんの色が隠れていることに気付かされる。

先に「ニースのカーニバル」を見て想像した仮面の下の素顔ではありませんけれど、

絵画の成り立ちそのものが重層的であって、表面に見えているのとは違う下層があることを

今さらながら思い知ったような次第。「絵画」も「ヒト」と同じではないかと。

 

画像がありませんので、これらの印象はいずれもつかみ取りにくいものとは思いますが、

美術館を訪ねるひとときがあれやこれやの思考を巡らしたりするお楽しみの時間となることは

おそらく肯じていただけようかと。

 

近ごろは都心の大きな美術館に鳴り物入りで宣伝されるような展覧会を訪ねることもなくなっていますけれど、

知らない画家の知らない作品であってもこんな思い巡らしができるのですから、

混雑の中で超有名作を見ること(それはそれで見た満足はあるでしょうけれど)よりも

豊かな時間なのではなかろうかと思ったりもしておりますよ。

ただ、これも緊急事態宣言下であるからこそ気付くことと、前向きに解釈しておきましょうかね。