当然にして日野宿本陣は甲州街道に面しているわけですが、
街道の向こう側、斜向かいにあたる場所にはかつて高札場があったということで、
今そこに建つ建物も何やら昔の街道ふうな。されどこれが日野市の図書館とは、
宿場町として気概でありますかね。
と、そんな風情を醸す図書館の並び(といってお隣ではありませんですが)
日野市立日野宿交流館とやらがありまして、本陣受付のおばさんから「訪ねてみてくださいねえ」と、
声を掛けられたのに釣られて、覗いてみたような次第でして。
入ったところは観光案内と土産物販売のコーナーでしたので、さらりとひと巡り。
それにしても、さまざまな新選組グッズがあるものですなあ。
隊士はことごとくイケメン・キャラクターと化しておりますしね…。
今回ぶらりとする中では、いわゆる歴女のたぐいでもありましょうか、
何かしらのグッズを購入したのでしょう、「誠」の幟旗がデザインされたビニール袋をぶら下げて、
新選組ゆかりの地を巡る女性の方々とすれ違ったりしたものでありますよ。
そういうところを見かけたから言うわけではありませんけれど、
自身、新選組ゆかりの日野を歩き周りながらも、実はさほどに新選組に大きな関心があるわけでなく…。
歴史のヒトこまとしては確実に彼らはいたというところが見逃せないというくらいですかね。
歴史の流れから考えれば、新選組がいいとか悪いとか、敵対した勤王の志士がいいとか悪いとか、
一概には言えませんし、どちらに肩入れするつもりもないところでありまして。
と、すっかり話は余談に入り込みましたですが、日野宿交流館の2階には
「甲州道中日野宿の歴史と文化」という無料展示施設があるので、そちらの方のお話へ。
もちろん新選組にも触れる内容ですので、もっともさっくり情報を仕入れるにはここだけでもいいのかもです。
ですが、ここでの展示でいちばん目を止めた部分はといえば、明治以降のお話だったのですね。
佐藤房五郎のように事情が許せば新選組に加わったであろう若者が他にもいたでしょうし、
そうした気風があっただけに、その後の薩長藩閥が行う政治には冷ややかな視線を送っていたことでありましょう。
多摩のあたりは、例えば世に広く知られた「五日市憲法草案」が作られたりもした場所がらとして、
自由民権運動が盛んであったと伝えられるわけですが、そこには薩長主体の明治政府への敵愾心という
エネルギーが溜まっていたのかもしれませんですよ。
結局のところ、自由党の腰砕けによって秩父事件が起こったりして、これが政府に抑え込まれるという経緯を経、
憲法制定、議会開設となっていきますが、そうした薩長政治に反駁する気風といいますか、そうしたのものが
確かにあったのかもと思われる逸話をひとつ。
日野を含む多摩地域は江戸期には天領であったわけですが、これが明治の廃藩置県後、
東京府になったり、神奈川県になったり、また東京府に戻されたりしているのですなあ。
こう言ってはなんですが、政府にとっては扱いにくい人たちがたくさんいた土地柄だったのかもしれません。
裏を返せば、なにごとも「国ありき」で進める政府に対して、決然ともの申す気風があったのではなかろうかと、
日野宿交流館展示室の解説をながめやりながら、そんなふうに思ったものでありますよ。