先週のEテレ「らららクラシック」では、3大テノールを取り上げておりましたなあ。
何故今頃?とも思いましたが、「甦る三大テノール 永遠の歌声」なる映画が公開中であるとか。
ホセ・カレーラス、ルチアーノ・パヴァロッティ、そしてプラシド・ドミンゴと
オペラ愛好家にとっては綺羅星のごときスーパースターのそろい踏みで、
それがサッカーのワールドカップ絡みのイベントであったことから、
必ずしもオペラもクラシック音楽にも関心の薄かった層まで巻き込んで大騒ぎ(?)になった…
というのが、3大テノールのイベントでもあったようですねえ。
三者三様の声質や個性の違いなど、関心を呼ぶ要素は確かにあったのでしょうけれど、
さほどのオペラ通でもなく、一方で大勢が関心を示すと敢えて背を向けるようなへそ曲がりには
あらためて「ほお、そんなに話題になっていたものであったか…」と思ったりしたところです。
ところでそんな3大テノールのイベントが、結局のところローマでの1回に終わらず、
世界ツアーが行われたりもしたようですが、そうしたようすを振り返る映像の中で、
我ながら「なぜそこに?!」ではあるものの、個人的に食いつきがあったのは
ニューヨーク公演で歌われた「ニューヨーク・ニューヨーク」だったのですなあ。
つい先日、映像の中の音楽のことに触れた折り、
この曲がTV東京「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」 では
温泉に浸かるシーンで必ず使われる…といったことを書いたりしましたので、
このことがあって食いつきにつながった…というはずもなく(笑)。
もちろん三人の歌唱が、曲の持つゴージャス感をさらに持ち上げて
すばらしいものであったとは言うまでもないながら、
そのゴージャス感とは違った印象の歌詞が気になったわけでありまして。
曲の一部分だけを流す映像では、字幕として出る訳詞に触れたのも部分的ではありましたが。
この曲の印象としては、きらっきらの舞台、例えばラスヴェガスでのショーのようなところを
思い浮かべてしまうのですけれど、そんな印象がありながら歌われている歌詞からは
出直し、新規まき直し(アメリカ風に言えばニューディール?)の歌だったであるか…と改めて。
いささかの挫折感を抱く人物がニューヨークでなら、うまくやれるさ的な内容なのでして、
これっていかにもアメリカらしいなとも。人生の切り替えといいますか、
まさに出直し、新規まき直しが少なくとも日本よりはできそうな気がする。
東海岸で失敗しても、西海岸で一念発起するとか。
そういえば、日本にも「♪東京でだめなら名古屋があるさ 名古屋でだめなら大阪があるさ」と
水前寺清子が歌っていたことがありましたけれど、この歌の頃はまだ高度成長期だったのでしょうか。
流れていってもなんとかなる勢いというか、活気というか、
そうしたものが日本の町のあちこちにあったのでもあろうかと。
その後は結局のところ、東京一極化が進んだ気がしないでもない。
今となっては、むしろ都市部から都市部への流転よりも、何か特別な思いをもって
都市部から、いわゆる田舎の町や村へと向かうことの方が一念発起でありましょうか。
とはいえ、日本でよりもアメリカの方がまだ出直しやすいような気がしますのは、
そもそも移民の国であることにもよるような。
今やその目線はかなり保守的にもなっているのかもしれませんけれど、
都市部であれば今でも「どこかから来た人」で構成されていることに違和感は薄いのではなかろうかと。
ひとそれぞれに何か事情があって今ここにいるとして、
今このときのこの人の人物判断で近所付き合いなどもできる。
日本だととかく「過去に何が?」的な穿った見方をしてしまいそうですものね。
本来的にはそうした姿がアメリカにはあるからこその「ニューヨーク・ニューヨーク」だったのではなかろうかと
思ったりもしたものです。それがだんだんと過去のものになりつつあるアメリカなのかもしれませんけれど…。
(結果、全く3大テノールの話ではありませんでした。笑)