三連休で人の動きが多くなると見越して出されたようなところの「緊急事態宣言」ですけれど、
春先に出された「緊急事態宣言」と、言葉は同じでも受け止め方には大きな違いがありましょうなあ。
この間の数カ月に良くも悪くもコロナのある現状に慣れてしまってもおりましょうし。
「不要不急の外出自粛」などと言われて、春の段階では「一歩も外へ出てはいけないのか」、
「犬の散歩はどうなんだ」てなことが真面目に取沙汰されていたところながら、
今回はおそらくそんなことに疑問を抱く人もいないのではなかろうかと。
どこまでなら良くて、それを越えるとまずかろうという経験則が出来ておりましょうから。
ただ、その経験則というのがもっぱら個々人の判断に基づいておりまして、
そうした行動様式はすでに今回の緊急事態宣言の以前から日々それぞれに行っていたことでもあろうかと。
ですが、そうであるにも関わらず感染は収まるところが無い…となれば、
個々にばらばらの経験則に基づいていてはダメなんでしょうねえ。
果たして今回の宣言の効果はあるのでありましょうか…。
とまれ、人との接触を多く持たないことに注意を向ければ、
それこそ犬の散歩ならぬ我が身の散歩に連れ出してやることくらいはあってもよいような。
気分も晴れますしね。
で、春先の宣言下では新鮮な気持ちで?ご近所歩きに勤しんだりしたわけですが、
まあ、この連休でも家に籠っているばかりでは気も晴れない。そこでご近所歩き再びという次第です。
市の中央図書館を覗きがてら、今回は「くにたち健康ウォーキングマップ」ナンバー3のコースをひと巡り。
面白いことに、何度も通ったことのある所にもこれまで全く気付いていたなかったのだなと思うものもあり、
普段の通りすがりではそんなにせかせかしているわけではないのですけれどねえ。
国立市の中ほどを東西に横切るさくら通りとその一本裏の道(こちらが旧道なのでしょう)をぐるりと歩くコースは
1時間ほどのお手軽散歩なのですけれど、その裏道をたどっておりますときに「おや?」と。
「こおしん荘」とは、変わった名前のアパートであるなと思いましたところ、
この敷地の片隅に「庚申塚」があったのですなあ。謂れのもとはこれですね。
必ずしも庚申塚を珍しく思ったわけでもないのですけれど、改めて「庚申塚とはどういうものか」と考えてみれば、
恥ずかしながら知るところは無いのですよねえ。傍らには市の教育委員会による解説板をしっかり読むことに。
「庚申塚は、悪疫を防ぎ、長寿を招くという中国の庚申信仰に基づいて造られたものです」とは、
何とこの時期にタイムリーな気付きであったことかと思ったりもしたものです。
解説の続きをちと届めておきましょう。
中国の道教では、六十日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の日は、人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が、人の眠りに乗じて天帝にその罪悪を告げ、人の寿命を縮めるという教えがあり、その夜は眠らずに過ごすという風習が生まれました。これを庚申待といいます。日本にも庚申信仰は古くから伝わっていましたが、江戸時代に入ると、庶民の間に庚申塔造立や庚申待の風習が広まりました。
まあ、さほどに宗教的な話ではなくして、日ごろの行いへの戒めのような気がしますですね。
もっとも60日という間に、ついつい人間は何かしら天帝(天の神様とでもいいますか)に顔向けしにくいことの、
ひとつやふたつをしでかしてしまって、「ああ、まずった。どうぞご勘弁」というのが庚申信仰でもありましょうかね。
裏通りからおもてのさくら通りに出て、市でいちばん大きな郵便局の前にたどりついたところ、
入り口脇の木にちょっとした説明書きが。なんぞいわくのある木でもあろうかと、しげしげと。
なんでも「多羅葉(たらよう)」という名のこの木は、「郵便局のシンボルツリー」なのであるとか。
別名「葉書の木」とも言われるそうで、その理由はこんなことでありましたよ。
葉の裏に先の尖ったもので字を書くとその跡が黒く残るので、古代インドで手紙や文書を書くのに用いた多羅樹の葉になぞらえてその名がつけられました。
ふ~んと思いつつ、スタート地点の中央図書館に戻ってきたわけですが、
ここでも今の今まで気づかなかったことに出くわしました。やはり入り口前の植栽です。
真冬ですのですっかり枝だけになってしまっているバラの木が一本、
「アンネのバラ」という看板に説明がありましたですよ。
『アンネの日記』に感動したベルギーの園芸家が、自ら作り出したバラの新種を
「アンネ・フランクの形見」と名付けて、アンネの父オットー・フランクに献じたのだそうで、
日本に伝わったのは父オットーが日本の教会の牧師に贈ったところからとか。
平和のシンボルとして大切に育てられているようで、図書館前への植樹は2000年だったそうですから、
すでに20年も経つのに、これまで気づきませんでしたなあ…。
てなことで、ご近所話であるだけに話題としてはささやかなものではありますが、
どこか目的地に向かって通り過ぎるだけでない道の歩き方をしてみますと、
気付かなかったあれこれに出くわす。これもまた楽しからずやでありましょう。
こういっては何ですが、コロナの賜物でもあるような気がしたものです。