とうに七草粥の日も過ぎまして正月気分もどこへやら、

すっかり日常感(といってもコロナの日常ですが)が戻ってきているのではと思うところですが、

2021年の始まりに際しては昨年末にもっぱら初詣の分散参拝とやらが呼びかけられておりましたなあ。

 

そうした風潮に乗っかっていうならば、2021年に限っては(?)

七草も過ぎた今頃になって初詣の話をし出しても、まあ、おかしいこともなかろうかと。

ただし、従来の感覚的にはたっぷり今さら感ありですけれどね。

 

だいたい分散参拝と言っても、季節ごとにこの時にこそと思うものの時季をずらすのは

なかなかしっくりくるものではないのでしょうなあ。例年ほどではないにしても、

やっぱり明治神宮あたりでは結構な人出であったように(TVでちらりと)見受けたような。

インタビューに曰く「密を避けようと、早く来ました」と答えていた人もいましたですねえ。

 

例えば「年末に第九を聴かないと年を越せない」という人がいますね。

元旦(あるいは三が日とか)に初詣に行かないと落ち着かないという人たちもいようかと。

 

「第九」を聴かなければ、本当に年を越せない物理的な障壁が生ずるようなことはないわけで、

初詣は「初めて詣でる」ことなわけですから元旦でも三が日でも無くとも良いといえば良いですな。

 

こうしたことが何に起因するのかと考えれば、おそらくそれは習慣なのではないですかね。

パターン化した行動に慣れてしまっていると、それをすることで落ち着くとかいう。

 

たまたま年末に「初詣にはどこか出かけるの?」と尋ねた同僚二人は

二人ともきっぱり「行かない」と言ってましたが、ひとりはどうやらカトリック、

もうひとりは親がどうやら無神論者でもあるらしく、初詣に行った経験が無いとなれば、

まあ、レアケースに当たってしまったのかもしれません。

 

それでも、後者の場合を裏返して考えてみると、

子供の頃から正月には初詣に出かける習慣のある家庭で育った場合、

その後自らが神仏に対して特段に懐疑的な思いを抱くことがなければ

そのままに習慣として引き継がれ、それはその後の世代にも同じことが言えたりもしようかと。

 

ということで分散参拝を求めてみても、どうなんですかねえ。

結局のところ出控えた人たちが「別に正月に初詣行かなくてもいいか」てなことに気付かされる?だけかも。

余計なお世話ではありますが、年間のお賽銭額正月の収入が年間の9割以上なのではと想像するだけに

神社仏閣にとって分散参拝に望みをかけていたところ、翌年以降も減が見込まれるともなれば、

痛手でしょうなあ…。

 

かつてのような氏子、檀家という明確な囲い込みが無くなってきている中で(もちろん残ってもおりましょうけれど)、不特定多数がなんとなくお参りに来てくれることは寺社にとっては重要課題であろうかと思うわけですが、

昨今の状況からさまざまな商売が成り立ちにくくなっている中、寺社もまた決して例外では無いと、

まあ、そんな気がしたものでありますよ。