いよいよ2020年もおしまいですなあ。
今日も少々、新聞記事の振り返りから。この際の振り返りは古新聞の片付けとして、
いわば大掃除の一環みたいなところがありますので、新年に持ち越すわけにもいかないものですから。
【2020年8月1日(土)/新潟日報】
記事の見出しは「新潟を産んだ大地の溝 フォッサマグナ」というもの。
先年、糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムを訪ねたことを思い出したりするところですが、
改めてフォッサマグナを考えてみますれば「糸魚川静岡構造線」とも言われますように、
(線そのままのイメージではなくとも)幅の狭い帯状のエリアを思い浮かべるところかと。
さりながら、糸魚川静岡構造線はフォッサマグナの西端であって、
東側にある新発田小出構造線と柏崎千葉構造線とで区切られる範囲内がフォッサマグナに当たるとか。
ですので、「新潟県の大部分が、フォッサマグナにすっぽりと入る」ことから、
その地理的条件が新潟には大きな関わりがあるというわけなのですね。
もっとも、この東西の幅を地図に落とし込んでみると、
関東平野の西側、つまり群馬県、埼玉県、東京都、神奈川県はほぼほぼ全て
フォッサマグナの帯の中に入ってしまう…ということは、小松左京の「日本沈没」のような事態が起こった場合、
真っ先に沈んでしまう場所ということになるのではなかろうかと。
【2020年11月2日(月)/東京新聞】
伊能忠敬より42年も早く精密日本地図を作った人がいた…というわりに全く知られていないですな。
作者の出身地である茨城県高萩市では「知名度アップに力」を入れているという、その人は
長久保赤水という地理学者、「日本輿地露呈全図」(通称・赤水図)を作り上げた人物であると。
後世に知られているかどうかはやはり国家事業であったかどうかと関わっていますかね。
江戸期には伊能図は国家機密で持ち出しは厳禁だったわけですけれど、赤水図の方はむしろ
「庶民に広く普及。版を重ねるベストセラーとなり、ドイツ人医師シーボルトらの手で海も渡った」ということです。
しかし、地図が庶民に普及とは?と思うところですが、
「城下町や古戦場などを分かりやすく示す」と同時に「小さく折りたたんで持ち運びができ、
観光ガイドブックのはしりとも言える」ものであったとなれば、納得もしようというもの。
一方で、そういう「俗っぽさ」があったことがかえって歴史に埋もれされることになったのかもですねえ。
ということで、2020年はこれにて書き納めということに。
お立ち寄りくださいました皆さま方に感謝を申し上げますともに、
世知辛い状況ではございますが、皆さまのご多幸をお祈りいたす次第でございます。
年明けは1月3日あたりには再びお目にかかりたく存じますが、
どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。