市立図書館にとある本を予約して近所の分館で受け取れるようにしておりましたが、

まだ届いていない…となると、手ぶらで帰るのもなんだなと新しく収蔵された本のコーナーから一冊。

かつて絶版になったものなのでしょう、【復刻版】と銘打ってあった「剣の舞 ハチャトゥリヤン―師の追憶と足跡」、

強烈な個性が顔立ちからも感じられるカバー写真を見て、借りてみたのでありました。

 

 

単純に作曲家アラム・ハチャトゥリアンの評伝でもあろうかと思って借りてきましたけれど、

「師の追憶と足跡」とありますように、弟子が恩師ハチャトゥリアンを回顧して書いたものだったのですな。

しかも、その弟子というのが日本人であったとは。

 

著者は日本人作曲家・寺原伸夫…ですが、う~ん、知らないなあと。

なんでも特段の音楽教育を受けることなく、興味が高じて作曲を始めたようですけれど、

ひょんなことから来日していたハチャトゥリアンが寺原の合唱曲から才能を感じ取り、

なんとモスクワ音楽院で自分が持つ作曲コースに留学しないかという話になったそうな。

こういうことってあるのですなあ。

 

その作品はいくつかYoutubeで探し当てることができますけれど、なんとなくソビエトの響きがするような。

モスクワ音楽院で7年間学び、マスターコースを修了したというところから来る思い込みかもしれませんが。

確かに恩師のハチャトゥリアンにも通じる響きと思えたりするものの、ハチャトゥリアンの方は

どうしても民族色といいますか、そっち方面の色合いの強さがより際立っているように思えるものでして。

 

ちょいと前のEテレ「らららクラシック」でハチャトゥリアンの代表作(というより最も知られた曲)「剣の舞」を取り上げた際、

実はこの作曲家、モスクワ音楽院に入学するまで楽譜が読めなかったということが紹介されて驚いたわけですが、

その大きなハンデを補って入学が許可されるほどにコーカサス地方の民族音楽に通じていたということのようで、

モスクワ音楽院の音楽に対する懐深さを感じる一方で、ハチャトゥリアンの曲の出自をも想像させるのでありましたよ。

 

さりながらハチャトゥリアン民謡の重要性(作家のゴーリキーにも教えられたと本書に紹介がありますが)は意識しつつも、

そのままに使うのではないのだということを強く弟子にも伝えたようですね。

ハチャトゥリアンはこんなふうに語っていたそうです。

なかには私を民謡編曲者と思いこんでいる人に出会うが、私は二、三の例を除いて民謡を原形のまま利用することはない。民族的なイントネーションやリズムをもとにして、創造の過程で変形し再創造する。幼いころに私を包んでいた民族的な音楽の形式、イントネーションやリズムが、ちょうど“母乳”のように私の心や体にしみ込んでいるのだ。作曲家にとって大切なことは、母国の民族音楽を自分の血や肉とすることだ。

いささか的外れな例えかもしれませんけれど、日本古典芸能などにこれっぽっちも興味が無いという人にとっても

なんとなく「七五調」の言い回しに馴染む感覚はあろうかと思うところでして、そんなことも沁み込んでいる形式となりましょうか。

そこに目をつぶるも目を向けるもその人次第なわけですが、ハチャトゥリアンはそれを大切にするよう言っているのでしょう。

 

 

というところで、ハチャトゥリアン作品でお気に入りの一枚を取り出して(久しぶりに)聴いてみようかと。

いわゆる現代音楽的に晦渋な作品もあるハチャトゥリアンですけれど、バレエ音楽はさまざまなリズムを駆使して、

上の引用にある民族的要素も堪能できるところであるわけですが、この一枚には「ガヤネ(ガイーヌ)」、「仮面舞踏会」、

そして「スパルタクス」からの抜粋が収められておりますのでね、さながらコーカサス音楽の祭典でもありましょうか。

 

これをふだんプレミアム的におうち演奏会として楽しむため、例によっていささか音量大きめでかけるとして、

第1曲目の「剣の舞」だけは控えめにしておきませんとね。のっけからパーカッション大活躍ですので、

「どっかで何か爆発したが?!」と近所の人に不安を与えてはいけませんから(笑)。

とまれ、そんなハチャトゥリアンのバレエ音楽にはショスタコーヴィチがこんな言葉を寄せておりますなあ。

バレエ音楽《ガヤネ》、《仮面舞踏会》の音楽、組曲《ヴァレンシアの未亡人》、バレエ音楽《スパルタクス》―これらすべての作品において、ハチャトゥリアンはいちじるしく民族的である。しかしそれは人民性、民族性のせまい理解にとどまらず、陳腐なイントネーション、ハーモニー、リズムに限られてはいない。それは世界文化の高みよって豊かにされた真の人民性であって、世界文化に新しい貢献をもたらしている。

まさにハチャトゥリアンの狙いどおりを現したひと言なのではなかろうかと。

ともすると、ソビエトの作曲家としてショスタコーヴィチばかりをありがたいものと考えてしまうがちですが、

そのショスタコーヴィチもかように認めるハチャトゥリアンの音楽。

知っているのは「剣の舞」だけ…ということであったとしてら、もったいない話ということになりそうですね。