ちょいと前に漫才トリオ「レツゴー三匹」正司の訃報が伝えられましたですね。
すでにじゅんも長作も鬼籍の人ですので、これであの世の漫才大会で活躍できましょうか。
まあ冗談はともかくとして、「トリオ」というものをつらつら考えてみた…というお話なのですけれど、
「レツゴー三匹」がステージに登場して、開口一番のご挨拶が定番になっておりましたなあ。
若い人たちはいざ知らず、一定年齢以上の層には知らぬ人とてないのではと。
「じゅんで~す!」、「長作で~す!」、「三波春夫でございます!」という、あれです。
これまで気にも留めていなかったですけれど、よおく考えてみれば、
このフレーズが生きるのはトリオならでは、なのですなあ。
「じゅんで~す!」という第一声に対して、「長作で~す!」と応じることで
流れ、パターンができますが、即座にそれを崩すのがかしこまった言い方の「三波春夫でございます」。
このパターン崩しが笑いを誘うわけで、これが「じゅんで~す」に続いて
「三波春夫でございます」が来ても、いっかな笑えないですものねえ。
2人組コンビによる掛け合いもいいですが、それぞれの役割を変えながらいろいろなことが試せる、
そこがトリオのいいところなのでしょう…と、ここまで考えてみて、はたと思いましたのは
このことは音楽でも同じなんだなと。トリオ、三重奏、たくさんの曲がありますものね。
ということで、何をと思うでもなく(アニバーサリーだもので)取り出したのはベートーヴェン、
そのピアノ三重奏曲「大公」と「幽霊」が収められたCDでありますが…。
こういってはなんですが、パールマン、ハレル、アシュケナージという往時の名手そろい踏みながら、
このジャケット写真を久しぶりに見て、どうにも「レツゴー三匹」が思い出されてしまいまして。
(誰を誰に見立ててしまったかは、想像にお任せしますが…)
かような事態になりますと「大公」という名曲を聴きながらも、どつきのシーンなど、
いらんこと思い出してしまい、落ち着いて聴いていられないという状況に(笑)。
そこで、矛先をかえてみたのがこちらでありました。
ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」とは、なんと唐突にジャズか…と思うかもですが、
その実、しばらく前のNHK「クラシック倶楽部」でフィルハーモック・ファイヴがベートーヴェンの演奏に際して、
ベートーヴェンは「ジャズの予言者」てなことを言っていたのを思い出しもし、
(確かにベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタを聴き続けている中ではそんなふうにも思いましたなあ)
またちょうど2020年がビル・エヴァンスの没後40年に当たったりもするアニバーサリー・イヤーであると、
そんなこんなでこのCD登場となったのでありますよ。
先ごろはあたかも「ブレードランナー」の町であるかのようにじょぼじょぼと雨が続いたりもしましたが、
いつしかすっかり秋になってたっぷりの夜長といったふうにもなってきている時季には
この手の音楽はかなりしっくりくるものと思うところですなあ。
ちなみにビル・エヴァンスは「かつてない高度な三位一体の演奏をしめし、ジャズのピアノ・トリオ演奏を革新させた」人であると、
ワーナー・ミュージックHPにありますけれど、革新者という点でもベートーヴェンと通ずるところがありそうで。
ピアノ、ベース、ドラムス、それぞれの楽器の個性や特徴を生かしたプレイのやりとりでセッション性を高めたというあたり、
単にピアノが主役でほかは伴奏的なありようだったピアノ・トリオ(ピアノ三重奏曲)を変えたのですものね。
この「インタープレイ」と呼ばれるビル・エヴァンスのトリオ演奏、「革新的」とも言われるわけですが、
単にピアノがフィーチャーされて、ベースとドラムスが底支えするという、
いわばバロック音楽のソロ楽器と通奏低音みたいな関係から、クラシック音楽史の中では
楽器の個性を生かした旋律の絡み合いといった方に発展的に変わってきた経緯がありますから、
ビル・エヴァンス以前、なぜそこに辿りつかなかったのだろうと思ったりも。
主役があってそれを支えるという形もいいですが、ノリというのか、ライブ感というか、
楽曲というより演奏を体感する際には、掛け合いがあった方が妙味が増すようにも思うわけで。
と、ここまで来て冒頭の話に逆戻りするのもなんですが、トリオ漫才の妙味もまた、
そういうことなのだよなあと思い返すところとなったものであります