アメリカ中西部。雪が降り積もる小さな田舎町に暮らすラースは、シャイで女の子が大の苦手。でも、人一倍優しくて純粋な心を持っている。そんなある日、同じ敷地内に住む兄夫婦に、ラースが「彼女を紹介するよ」と言って連れてきたのは、等身大のリアルドール、ビアンカだった! 完全に正気を失ったと呆然とする兄のガス。義姉カリンはかかりつけのダグマー医師に相談するが、彼女は「ラースの妄想を受け入れ、ラースと話を合わせることが大切」と助言する。住民たちもラースへの愛情から、ビアンカを生身の女性として扱うことに協力。ビアンカの存在はいつしか人々の心を動かし、住民同士の交流も深まっていくが……。

いきなりAmazonからストーリー紹介を持ってきてしまいましたけれど、

映画「ラースと、その彼女」のお話はおおむねこのような内容でありましたなあ。

 

 

ラース(ライアン・ゴスリング)は26歳の、いわば「いい大人」といわれるであろう年齢ですので、

そのラースが「紹介する」といって連れてきたのが人形であったとき、家族のびっくりはもとより、

この手の話は、小さな町ならなおのことすぐさま広まるでしょうから、近隣住民も仰天したわけですね。

 

あまりにラースが人形のビアンカに世話を焼くものですから、その姿を見た人たちは失笑を禁じ得ないのでしたが、

真剣さにもほだされて、ラースが作り上げているビアンカの世界をそのままに、むしろ積極的に受け入れたりもするように。

このあたりは作り話であるにせよ、おそらく人と人との関わりが都会ほどに希薄化していない程度の町であるがゆえに

なんとも温かな気持ちにさせてくれるところです。

 

はっきり言ってラースの行動は奇異なものであって、それこそ病院の世話になるべきということでもありましょう。

ですから、掛かりつけ医(たぶんどんな病気も診てくれるのでしょう)に相談して通院することにはなりますけれど、

実際にどういう病気で、どこが悪くて…という話は出て来ず、むしろ人に触れられると激痛が走る感覚があるという点で、

ラースは何かしらのトラウマを抱えているであろうことが示唆されるものの、これに深く立ち入りこともなく過ぎていく…。

 

では、ラースは本当のところどうなのよ?と思うところながら、考えてみればきっと、

子どもの心を持ったままとか、そういうことでもあるのかなあと思ったのでありますよ。

 

人形やぬいぐるみとの間で、自分たちの世界を作り上げるのは子供がよくすることですよねえ。

人形に名前をつけ、その出自・来歴を作り上げ、そして語り掛け、相手の声が聞こえるかのように会話する。

こういった、まさにラースがやっていることは、そのまま子どもがよくやることでしょうから。

 

で、人形やぬいぐるみと会話している子どもを見て、「この子、どこかおかしくなったのかしら」とは思わない。

まあ、程度問題でもありましょうが、一般的に周囲の大人たちは微笑ましく見ていてやるのではなかろうかと。

ラースに対する近隣住民の接し方はまさにこの形でありましょう。

 

「子どもの心を忘れない」とはよく聞く言い方ですが、それをよく聞くのは得てして

大人と子供とでは行動や思考が異なるところからもあろうかと。子どもの発想は何とも自由なものですけれど、

大人になっていくにしたがって、人間関係、社会との関わり、規範や法律などなどを思うが故に

「大人らしい言動」が出来上がっていく(出来上がってしまう?)ものでありますね。

 

そんな通念から離れた存在を「おやおや…」という目で見てしまうのもまた大人ならでは。

子どもと大人、そのバランスの匙加減は非常に微妙で、どの大人に「大人らしからぬ」ところがあったりもするなと

改めて気付かされてみれば、一概に大人目線で見ることが適当であるのかどうかを

疑ってみることも必要かもしれませんですなあ。