さて、武蔵野美術大学美術館を訪ねて、もうひとつの展示はといいますと、

「イラストレーションがあれば、」展。思わせぶりに読点で終わるタイトルですが、

英文の「The Possibitiy of Illustration」の方がよりストレートではありますね。

 

 

「当館コレクションより、中世の彩飾写本や16世紀の世界地図、現代のポスターまで、

西洋と日本のイラストレーションをめぐり、幅広い時代の作品を展観」するという展覧会は、

フライヤーの中央左側にあるプトレマイオスの世界地図から始まるのですなあ。

 

プトレマイオスは2世紀頃の、天動説で知られる天文学者ですので、そうなれば当然にして

大地(地球という感覚で無く)は平面であると信じていたのではと思っていましたら、

どうやらそうではなさそうですね。

 

航海中の船が陸地に近づいてくる際、海の向こうに高い山のてっぺんから見えてくるということから、

東西方向、南北方向ともに、大地は湾曲しているとは考えていたようで。

 

 

「プトレマイオス図」をフライヤーから部分的に切り出して引用させてもらいますと、

このような形であるわけですが、これを見てあたかも球の一部でもあるかのような、

そんなイメージで描かれているのはどうしたものであるか?と思ったのですが、

大地が球体であるとは言わずとも、湾曲しているとは思っていた、そういうことだったのですなあ。

 

と、やおら天文学史の話になってしまいましたけれど、本当はイラストレーションのお話。

そも「イラストレーション」という語には「明るみに出す」という語釈があるようでして、

もやっとしたものを明るみに出して説明してくれるものといった理解になりましょうか。

 

そうであればこそ、この大地はどうなっておるのかというもやっと感に対する図示が

プトレマイオス図であって、イラストレーション展の最初を飾るにふさわしいともなるわけで。

 

これがやがて「書物」というものが作られるに及び、

文章に書かれた内容を視覚化する材料、すなわち挿絵として考えられるようになりますな。

ただ、この段階のイラストレーションは「原則的にテクストに従属する存在」と見られ、

そのため「時に芸術性の低いものと見做されてきた」という。

 

取り分けキリスト教世界では、新約聖書にある「始めに言葉ありき」が拠り所となって

テクストの優勢性が強調されたりしたのかもしれません。

 

これが大きな転換を見せるのは、いわゆるポスターの登場以降のことでもあろうかと。

視覚での訴求優先であるポスターは、決してテクストに従属する存在ではありませんものね。

 

しかしそれでも、19世紀にロートレックやミュシャなどのポスターが人気を博すようになっても

ファインアートに比べて格下の扱いはあったのではなかろうかと。

ポスターを含めたイラストレーションが固有の地歩を固めるにはさらに時間がかかったことでしょう。

 

ちょいと前のEテレ「日曜美術館」で現代美術家の李禹煥が言っていたように、

「アーティストは運動選手のように、世界に挑戦し続けなければならない」といった思いで

ポスターやイラストを手掛けた人たちは臨んでいたのかも。

 

時代はかなり下りますけれど、日本でも1964年、「東京イラストレーターズ・クラブ」の結成に

参画したアーティストたちの意気軒昂さは、本展の展示作品からも窺えるような。

 

今ではすっかり、確固したひとつの分野になっているイラストレーション、

歴史的に流れをたどることで(展覧会の英文タイトルにありますように)その可能性というものに

思いを馳せることができましたですよ。