毎度のことながらTVの話は周回遅れになりますけれど、

先週6月21日放送分のEテレ「クラシック音楽館」、「いま届けたい音楽 〜明日へのメッセージ〜」を見ていて、

恥ずかしながら全くもって今さらの気付きがあったのでありますよ。

 

なんとなれば、大きな規模の公演が自粛されるようになって軒並み音楽会は開催取り止めになりましたが、

これは観客席がいわゆる「密」の状態になるからということばかりで受け止めていたのですなあ。

ところが、弦楽器、打楽器はともかく、管楽器は吹奏楽器と言われるごとく、

思いきり息を吹き込み、前に出すことで音が鳴る、つまりは飛沫感染が懸念されるのであると。

なるほどなあ。

 

そんなことも加わって、オーケストラ演奏会は毎度チケット代が払い戻しされるという事態になっておりますが、

かような中で渇望している人たちに何とか音楽を届けようという試みがいろいろあることも

番組では紹介しておりました。

 

ですが、およそインターネットを通じたライブ配信であるとか、そういうたぐいなのですよね。

演奏中にいろんな書き込みができるからインタラクティブであるとか新たな発見的メリットが喧伝されたりもして

確かにそういう側面もあるのでしょう。もちろん否定はしませんです。

 

しかしながら、これまでやってきたような形ではできないから、

インターネットを使ってやってみたらなんとなくできました、結構代わりになるのではと思います…という、

仕事やら会議やらの代替手段としての効能をそのまま持ち込んで「なんとかなった」というに過ぎないような。

 

「んなこと言ったって、以前のようにはできないのだからこれでも我慢するしかないじゃん」とは、

誰もが思うところでありましょう。されど、ことコンサートのことを考えてみると、今の形というのは

もっといい音を体感したいから密閉された空間で聴くのがよいだとか、

たくさんの楽員を使う演奏会はコストもかかるのでたくさん入場者が入っている方がよいだとか、

音楽の受け手にとっても送り手にとっても、要するに「密」な方向へとシフトしてきたわけですね。

 

今、問題として浮上しているのはその「密」の状態を極力なくすということなわけです。

となれば、やり方として前述のようなネット配信という手法もあるのかもしれませんですが、

現在の状況はこれまで「密」な方向でよかれとされていたことの真っ向否定なのだろうと思うのですね。

 

つまりは、音楽を送る、受けるそれぞれにおいて、

これまでとは全く違う形の模索こそ必要なのではと思えてくるのでありますよ。

生物学的にヒトはサルから分かれたとはよく言われるところですが、

生物の系統図で枝別れした先が途絶えているものがありますね、恐竜などもそうでしょう。

 

一時は我が世の春を謳歌した生物も、世のあれこれの事情に合わなくなると絶滅してしまうこともある。

無理に合わせようとしても、そこは元より無理があるわけで長続きせす消えていくことになったかも。

そうした無理に合わせようとしている状況が今、いろいろと感じられるわけです。

 

どこかしらの分岐点まで戻ったことを想定して(もちろんただ単純に過去に戻れといのではなく)、

その後に作り出したあれこれはもちろん用いながらも、行き止まりの先をこじ開けようとするのでない、

別系統の発展のありようを考えた方がよいのでは…と思ったりもしたのでありますよ。

 

もちろん、事は音楽会の話だけではないのでして、新しい生活様式などというものは

小手先でやりくりできるようなものと考えるのは、後々禍根を残すことになるのかもと

思えてきたりもするのでありました。