ということで、ライプツィヒ造形美術館で大きな展示室をあてがわれているマックス・クリンガー

彫刻作品を見て回った後、今度は絵画作品を見て回ろうというわけでして。

 

 

まずはクリンガーのモデル、恋人、ミューズであったというエルザ・アセニエフの肖像です。

Wikipediaには「独特の幻想的な作風で知られ」るとありますが、ここでは至って直球勝負でしょうか。

それらしいものを見繕うと、このあたりの作品になりますかね。

 

 

「Der Tod am Wasser」(水辺の死)という1880年頃の作品ですけれど、

別名を「Der pinkelnde Tod」(小便をする死)とは画像は小さくて判りにくいですが、

(かといって拡大して「どうです?」というほどではないとしても)見ての通りでありまして。

 

「死」に骸骨の形状を与えて擬人化していることからすれば、

「死」という人、といういい方も妙ですので死神とでもいいましょうか、

その死神にもいろいろと世知辛い日常があるような想像をさせるところです。

落語の「死神」でもそのあたり、感じられるのではなかろうかと。

 

束の間、職務?から解放され、水辺で用を足すひととき。死神のほっとしている瞬間でもありましょうか。

ところで、Wikipediaには「シュルレアリスムの先駆者とも言われる」と書かれてありますね。

それを思わせるのはこちらの作品ではどうでしょう。

 

 

海辺の裸婦像というには、寄り添う鳥と距離を置いて見守る二羽の別の鳥の存在が

なかなかに異様な雰囲気ですなあ。タイトルからして「Eine Gesandtschaft」とは

使節派遣とか使節団てな意味合いのようでもっぱら外交分野で使われる言葉であると。

 

いかにも絵の見た目と妙に堅いタイトルとのアンバランスがまたシュルレアリスムらしいところでして、

ここからどんな物語を想像させようというのか、作家的には無意識的なのかもしれませんが、

大いに妄想を促すところではありませんでしょうか。

 

ただ、「水辺の死」や「使節派遣」よりも10年前後遅れて描かれた作品を見てみると、

いささか拍子抜けするようなことにもなりますね。

 

 

 

 

上は、ローマにアトリエを構えたクリンガーが窓から見える風景を描いたもの、

下は、同じ建物の屋上でしょうか、フェンスに手をかけた女性の姿ですね。

 

1883年(とは使節派遣の絵を描いた翌年)から1893年にかけてローマに滞在したクリンガーは

古代ローマやイタリア・ルネサンスに大いに影響を受けたようですので、

先に見た作品と後の作品の印象の違いは年数が隔てたというよりはローマから受けた影響なのでしょう。

 

タッチが以前とは異なってきているのがよくわかりところでして、

最初に挙げた女性像がさらにその後の1903年作と知ると、クリンガーの変転にも得心がいくような。

 

さて、そのようなマックス・クリンガー作品の集大成的なる一作がこちらの大作でもありましょうか。

ひとつの壁面いっぱいに展示されていましたのは「オリュンポスのキリスト」(1889-1897)でありました。

 

 

大きな作品ですので、普段よりやや大きめに写真をあしらいましたけれど、

実物は絵画作品としてのみならず装飾的部分も全て併せてひとつの作品であり、インパクト大なるものが。

 

 

こんな、アトリエでの制作風景をご覧になれば、その大きさはさらにお分かりになろうかと思うところですが、

そもそもからして大きな邸宅の壁面を飾るという以上に壁面そのものを手掛けたとも言えるような。

 

「絵画、彫刻、建築の3つのジャンルを1つに統合する芸術作品」ということに、なるほどと思えますですね。

こうなってくると、むしろマックス・クリンガーのアトリエに置かれたそのままの状態で見たかった…

そんなふうにも思うのでありましたよ。