今さらながらではあるも「悩ましさ」ってなんだろうかなあ…と考えてみたり。
映画「ワンダー 君は太陽」を見たところで、あれこれと思案したのでありまして。
さらりストーリーに触れるには、またAmazonあたりからの借用ということして。
「僕は普通の10歳の子じゃない」――
オギーは遺伝子の疾患で、人とは異なる顔で生まれてきた。27回の顔の手術のせいで自宅学習を続けてきたオギーだが、両親は息子を外の世界へ送り出そうと決意する。だが、5年生で入学した学校で、オギーはいじめや裏切りなど初めての困難と出会う。幾度もくじけそうになりながら、家族の愛を勇気に変えて立ち向かうオギーの姿に、周囲の人々が変わり始める。そして忘れられない1年を締めくくる修了式の日に、最大の出来事が待ち受けていた──。
と、このような話であるということになりますと、タイトルにある「wonder」はオギーくんのことを指していて、
いろいろあるけれど実は「君は太陽のような存在だね」ということを、タイトルは伝えようとしている…
てなふうに思うところですけれど、どうも違うんじゃないかなあと。
原題は「wonder」だけですけれど、これではさすがに日本公開時にピンと来てもらえない、インパクトが無いと
考えられたかどうかは分かりませんけれど、話の中で確かに惑星の話が出ますし、
学校へ通いだす前のオギーくんは外出のときに宇宙飛行士のようなヘルメットをかぶっていたりもする、
そんな宇宙との絡みから「君は太陽」という「きれいきれい」な言葉を持ってきたのでもありましょう。
でも、これがあるために、上に引用したストーリーでももっぱらオギーくんのことしか触れられず、
とにもかくに「人とは異なる顔で生まれてきた」オギーくんの苦難とそれを乗り越えていくさまというところにばかり
目が向けられてしまうような。ですけれど、実はこの映画、それほどに一直線の映画ではないですよねえ。
物語の焦点はときにオギーくんの友だちジャック・ウィルに当てられ、またときにはお姉ちゃんのヴィアに、
さらにはヴィアの友人ミランダにと、オムニバスのような見せ方にもなっていたものですから。
でもって、それぞれの登場人物目線でそれぞれの毎日を振り返ってみれば、
その人その人ごとの悩ましさを抱えているのですよねえ。
そうはいってもオギーくんに比べれば…となると、みなぐっと飲みこんでしまわざるを得ないところがありますけれど、
そんな「こうでなくては」的な教訓を振りかざす話ではなかろうと思うのですよね。
ですから、いろんな人に寄り添う見せ方をするわけで。
だいたいヒトの「悩み」というのは、感覚的には相対的なものではないわけで、
ふとこぼした悩みを聴いてもらったときに「そんなの、他に比べたら…」と言われたとして
「そうだな」と思いを引っ込められるくらいであったら、悩みとしては相対的に小さいと言えるかもですが、
だいたい他人の事例を持ち出されて悩みの大小を比較するてなことに馴染むものではないような。
まあ、きわめて客観的に見るならば、オギー君の抱える悩ましさは(誰と比べてというでなく)大きいものでしょう。
それをオギーくんひとりで、ではなくして周りの人たちともどもに乗り越え、乗り越えしていっているわけですが、
そのときどきにはその周りの側の人たちもそれぞれに何かしら抱える悩ましさがありつつ、
それをオギーくんのいること含みで乗り越え、乗り越えしているのですよね。
そんなような、敢えて言葉にしてみるとなんとも当たり前に行われていると思えることではあるものの、
それを意識に上せてくれるところがあるなと思ったお話なのでありました。