いやあ、菜の花がフルスロットルですなあ。

春というよりもはや初夏のような陽気の中で、植物は何と元気であることか。

とかく沈みがちというか、淀みがちというか、昨今のヒトの状況とは全く関わりないというぐあいに。

 

そういう状況ですから、時折手伝いに出かけていく農園でも手間を惜しんではいけないようで。

葉物などは折々摘んで食すこともしませんと、大きく育ち過ぎ、硬くなって食べられなくなってしまう…。

 

ですが、この外出を「不要不急ではない」と言い切れるかといいますと、

微妙な気もしないではないとも思っておりますが、屋外でかつ密集もしておらず、

往復の交通手段も自転車で他人と接することがほとんどありませんので、

おそらく「自粛警察」でもなければ黙認の範囲内ではあろうかと。

 

 

実際、こんな具合ですしねえ。農作業に来ている人はちらほらです。

一方で、植物は元気ですから、摘んだり間引いたりしておきませんとね。

それにいささか発育不良で小さいまま黄色くなってしまっているものもちらほらあるので、少々追肥をしたりも。

 

 

大根は発芽しない可能性を踏まえてリスクヘッジのため、マルチのひと穴にふた粒の種まきをしておりまして、

ひと穴のふた粒ともが芽を出したままの状態で放っておくと大きく育たなくなりますので、一本間引き。

このような小さな段階で引っこ抜いてしまってすいません、てなものでありますよ。

 

 

ま、今でこそ植物は元気だなと思っておるわけですが、仮にこの植物に病気が出たということになりますと、

何もしなければ(もちろん植物自体は手の出しようもないわけで)あたりじゅうに蔓延することは必至かと。

何しろ植物は動けないですから、自発的に難を逃れることができないわけで。

(動けないことをもって植物を下に見るつもりの無いことは、以前書いたとおりと思っていますけれど)

 

反面、ヒトという動物は難を逃れる行動をとれる、ともいえますけれど、

植物のようにただじっと耐え忍んでいるこということが難しくもありますね。

それこそ、動いていないとならないという動物たるものの宿命でもありましょう。

例えば、逼塞してばかりでは運動不足になったり、精神的にも穏やかならないようになったり。

 

そこら辺のことは、世の中に出回っていて耳に入ってくるさまざまなことを

端から鵜呑みにするでなく、かといってそんな馬鹿なと切って捨てるでなく、

それぞれが十分に考えて対応するしかないところでありましょうね。

 

中にはそうした行動の尺度を決める物差しの目が細かい人もいれば粗い人もいるような。

行動を見ていて実際に粗いという人もいるでしょうけれど、

その一方でその行いには傍目では分からない理由があるのかもしれない。

だからこそ、傍目でとやかく、しかも高飛車に批判したりする人の気が知れないといいますか。

なおのことひとりひとりの考えようが肝心になってくるのであるなと思うところです。

 

…と、畑仕事の話のはずがすっかり脇へ入り込でしまいましたですが、

閑散とした農園で畑仕事の手伝いをしつつ、そんなことを考えたのでありましたよ。