ちょうど10年前にロサンゼルスとその近郊の美術館巡りをしたことがありますが、

その中で最も規模が大きかったがゲティ・センターでありました。

 

郊外にあっても車社会のL.A.ではなんつうことない移動なのかもながら、

バスを乗り継いでたどり着き、そのあと今度は専用トラムで移動するとは…。

いったいこの美術館を作ったゲティなる人物はいったいいかなる?と、そのときは知らずにいたわけですが、

「ああ、こういう人だったのか…」と思いましたですねえ、映画「ゲティ家の身代金」を見たものですから。

 

 

世界一の金持ちにして、世界一のどケチ。

まあ、誰にともっても無駄な金などないわけで、何を無駄と思うかというところが大きく分かれるところ。

当のジャン・ポール・ゲティにしてみれば、誰にも頼らずこつこつと貯めた金はもちろん当人のものですし、

他の人も同じように苦労を厭わねば手にできるのだから、それぞれ勝手にやりましょう、てなことですかね。

 

それでも巨大邸宅の中に来客用としてわざわざ公衆電話を設置してしまうというのは、

そりゃ電話代もこつこつのうちではあると理解するも、どはずれた極端さであるなあと思ったものです。

 

ストーリーとしてはタイトルからも誘拐事件を扱っておりますけれど、

見ていて暗澹たる気分に陥ってしまいましたので、この際、深入りはやめておくことに。

 

とまれ、ケチなわりには自分の眼鏡にかなう美術品は是が非でも手に入れたゲティ、

以前読んだ「ムンクを追え」では盗品のムンクを買いたいとの意向を示して犯人側と接触を図るのに

ゲティのエージェントであると名乗ることが犯人グループにも信憑性を与えたようすが描かれますので、

ゲティならば闇で取り引きもするだろうと知れ渡っていたのでもありましょうか。

 

そんなこんなで膨大なコレクションが築かれますけれど、冒頭に触れたゲティ・センターなどで一般公開され、

いわばその恩恵に浴す形になっているのはいささか複雑な気分でもあり…。

そのまま隠匿されたり、はたまたどこへと知れず散逸してしまったりすることよりはよかったというべきかもですが。

 

ですが、これには管理運営するゲティ財団の尽力といいますか、

ゲティが荒稼ぎしたことの罪滅ぼしのようなところもあったであろうかと思ったりもしますですね。

 

映画の中では(事実とは異なるかもですが)、誘拐されたポール(ゲティの孫)の母親、

この人はゲティの息子の奥さんで、事件のときには離婚していますので、直接的にゲティ家ではないものの、

事件解決に前後して御大が亡くなったことを受け、財産管理をゆだねられることになってますので、

ゲティ・センターで多くの美術品が公開されたりするのも、その人本人の差配かどうかは別として

第三者的な視点での配慮があったのではと思うところです。

 

もっとも、そうしたことも含めて、遺産の相続では一族がまたどろどろの争いを繰り広げたようですので、

まったくもっていやはやではありますが…。

 

こうしたことになるとはジャン・ポール・ゲティにしても、

また以前見たドキュメンタリードラマ「伝説の企業家~アメリカをつくった男たち」で取り上げられたロックフェラーや

カーネギー、J.P.モルガンといった人たちにしても、自身がたたき上げで過ごしているときには

どんな将来になっているかを思い描くことはあっても、実際どうかということを知る由もなく

ひたすらがむしゃらに過ごしていたのだとは思いますけれどね。

 

そうなればこそ、ひとを思いやるということがあってもよかったろうに、ねえ、ゲティさん…と、

そんなふうにも思って見ていた映画「ゲティ家の身代金」なのでありました。