埼玉県所沢市在住の同僚から、公開前にそのタイトルとおおまかな内容は聞いてはいた映画「翔んで埼玉」、

このほど見る機会を得たのでありました。

 

 

話に聞いていたとおりに埼玉県をこれでもかとこき下ろしておりましたなあ。

ですが、低く見られている点では千葉も同様ですし、一方で埼玉県の中でも熊谷と浦和にいささかの差異を感じていたり、

また合併でさいたま市となりながらも浦和と大宮の陰にかくれて「与野はすっこでろ!」と言われてしまう存在だったり、

とかく人はおのれの(側の)優位性を感じていたいのかもしれませんですよ、悲しいかな…。

 

で、映画そのもののことはすでにあれこれ語られておりましょうから、まあ、それはそれとして、

この際、一点突破的に考えてみようかと思いますのは、埼玉県には海が無いということなのでして。

 

映画の中でもこのことに触れて、埼玉県人が海を望むあまり、地下を東へ掘り進めるも、

「すわ、海であるか?!」と思ったところが、霞ケ浦だった…てな悲話が語られたりもするですが、

埼玉が海無し県であることがこんな形で取り上げられるのは、ヒトはとかく海が好きなのではないかと思ってしまったりも。

 

海無し県はなにも埼玉だけではありませんで、

栃木や群馬、山梨、長野、岐阜なども同様なのであって、大河ドラマ「麒麟がくる」でも斎藤利政(道三)は

尾張の熱田湊を牛耳る織田と盟約の必要性を力説しておりましたなあ。

もっともこれは斎藤道三が海が好きだったからというわけではありませんけれど、

着目する背景に海を感じ、意味合いはともかくも憧れはあったろうと思うところです。

 

このことは何も日本に限ったことではないように思うところでして、

かつての大国オーストリアの内陸にあって、いわば海無し国なのですよね。

 

それだけに、海への出口が欲しくてしょうがない。映画の埼玉県のようにトンネルを掘ろうったって、

アルプスが立ちはだかっていますものねえ。だからこそ、イタリアにこだわったのでありましょう。

 

1861年のイタリア王国成立後も未回収のイタリアとしてオーストリア帝国領であったトリエステなど、

とことん手放したくなかったのではなかろうかと。第一次大戦で敗戦国になったオーストリアは

やむなくこれを手放すわけですが、「ついに海無し国に逆戻りしてしまった…」と思ったかもです。

 

これに比べると、長大な海岸線を持つロシアは「海無し国」と呼ばれる謂れはないわけですが、

凍り付いて機能しない港がいくらあったところで…とは思っていたことでしょう。

ですので、もとより広い国土をさらに拡張すべくやっきになったのは、凍らず使える港が欲しかったわけで、

東へ向かってシベリアの果て、ついには日本海に到達して、ウラジオストクに築港したのですな。

 

漢字の当て字で「浦塩」と書かれるとピンときませんが、ヴラディは「征服・支配」、ヴォストークは「東」となれば

ロシアの「絶対手放さないけんね」という意思表示が読み取れる気がしますですねえ。

 

東よりもむしろ、ロシアの場合に有名なのは南下政策で、そのためにトルコとたびたび戦争にもなった。

またその一方で、西側ではバルト海に面してカリーニングラードという飛び地もやっぱり手放せない。

かほどに海は魅力的なわけですね。

 

と、さまざまな思惑を「海への憧れ」てなものでひと括りにするのは適当でないとは思いますけれど、

なにせ海は生命の根源でもあって、ヒトなる生物にも本能的な海のへのまなざしがあるのかなてなことも。

 

そんなことを考えておりますと、長い海岸線を持つ神奈川県のかつては一部だったことがある多摩地域に住まう者も

「あ~あ、海を見晴らす温泉にでもつかりたいものだなあ」といった気持ちが湧いてくる。

いつになったら楽しい気持ちで出かけることができましょうや。

早くその日が来ることを切に願うのでありますよ。