ドイツ・ヴィッテンベルクのクラーナハの館(クラーナハ博物館ですな)には作品パネルがずらりと並んで、

多作家であったようすを窺わせているわけですけれど、

本人はもとより子供も絵描きですし、また工房を構えて絵の注文をこなしていったのですな。

 

「クラーナハホーフ」と呼ばれてもいる建物ながら、工房でたくさんの職人を使ってということになりますと、

「ホーフ」(中庭、あるいは中庭のあるような大きな館)といってもどうやら手狭でもあったのでしょう。

なにせ中庭といっても通路のようなものでしたし。

 

 

そんなこともあってか、クラーナハは1518年にもうひとつの「クラーナハホーフ」へと引っ越しをするのでありますよ。

こちらはもっぱら中庭見学だけとなりましたけれど、表通りからかような通路を通りぬけて中庭へと進みます。

 

 

するとどうです、先の住まいの中庭と比べてずいぶん広々としておりましょう。

取り巻く建物には工房の職人たちも寝泊まりしたかもしれませんし、

多くの人が作業でこの中庭を行き来したのではと思うところでありますよ。

 

 

中にはクラーナハが生きた16世紀前半のままなのかも…と思わせるような古い建物もありまして、

画家の姿を模した像もまた置かれているのでありました。

 

 

 

ということで、さらに広い館に移って工房も充実、いよいよ画業に精を出し…かと思いますと、

多角経営ぶりは相変わらずであったようですね。ここで薬局も営んでいたのであると。

 

 

だいたい(中庭に入り込むときにはうっかり見過ごしていたものの)おもての壁からは

大きな「A」の文字をあしらった看板が出ておりました。「A」は「Apotheke(薬局)」の「A」ですものね。

さらによくよく眺めれば、クラーナハお決まりのマークも施されておりましたよ。

 

 

 

とまあ、かようにクラーナハの工房の、往時の姿に思いを馳せたりしたわけですが、

お次はヴィッテンベルクの目抜き通りの最奥部にありますお城へと向かいます。

もっとも、ヴィッテンベルク城というよりはそこに附属する城教会ですな。

ルターが「95カ条の論題」を貼り出したというヴィッテンベルクの城教会です。