さて、ドイツ・ヴィッテンベルクで画家クラーナハゆかりの場所を訪ねるわけですが、
まずはマルクト広場に面したこちらの建物「Cranach Hof」へ。
ご存知のように「hof」はドイツ語で基本的には中庭の意。ですが、宮廷といった意味に使われることもありますように
中庭をぐるり囲んで一軒というくらいに大きな屋敷のことにもなるということでして、
クラーナハホーフといわれるこの建物、要するにクラーナハの住まいですけれど、
その裕福な暮らしぶりが偲ばれるではありませんか。
1505年、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢明公)からヴィッテンベルクの宮廷画家に任じられたクラーナハ、
当初は城内に住まったようですが、1511年頃、マルクト広場に面した、いわば一等地に居を構えるのですな。
単に画家というのみならず、商売にも長けたクラーナハはこの一等地で印刷屋を開業、
ルターのドイツ語訳聖書なども手掛けたということでありますよ。
ちなみに息子ルーカスはこの家で生まれたということですが、この住まいが今ではクラーナハの美術館、
というよりクラーナハを知るための博物館になっているのでありますよ。
何しろ、ヴィッテンベルクの市長まで務めたクラーナハの事績は多岐にわたるわけですから。
ともあれ「Cranachs Welt(クラーナハの世界)」と題した展示を見に行くことにいたしましょう。
展示によれば、先にふれた宮廷画家、市長、薬局経営、印刷屋経営のほかにもワインバーなども手がけてようす。
ただこの場所でのメインは印刷業であったようで、それらしい展示物がこのように。
なかなかに広いなかなかに館内は、すっかりきれいな展示室にさまがわりかと思いますと、
クラーナハの時代のままに近いと思しき状態で保存されているところもありましたなあ。しみじみ。
ところで、後世の者からしますとクラーナハはやっぱり画家として名を残していると思うわけですから、
それらしい展示を見ると納得すると言いますか。
ですが、ここで数々の作品を生み出したのであるかと思うと、いささか早合点であるのですな。
確かにクラーナハはここに住まって印刷屋の傍ら、絵の工房も構えていた…わけですが、
1518年頃にはこのマルクト広場に面した館を売って、もそっと西側へと引っ越しをしたのだという。
さらに広い工房が置ける場所と考えたのではなかろうかと思いますのは、さらに大きな地所なのですから。
せっかくですから、そちらもちょいとばかり覗きに行ってみたのでありますよ。