何を見たときだったか、映画館での予告編に「ああ、機会があったら見よっと」てなふうに思っているうち、
気付いたらCSで見られるようになっていた…。映画をTVで見られるようになるのが
早い早いとは思ってましたが、実際早いものですなあ…。
と、このほど見たのは映画「空飛ぶタイヤ」なのでありました。
どういう話であるかはご存知の方も多いことでしょうけれど、
一応Amazonの紹介文を引いておきますと、こんなあらすじということになりますな。
ある日突然起きたトレーラーの脱輪事故。整備不良を疑われた運送会社社長・赤松徳郎(長瀬智也)は、車両の欠陥に気づき、製造元である大手自動車会社のホープ自動車カスタマー戦略課課長・沢田悠太(ディーン・フジオカ)に再調査を要求。同じ頃、ホープ銀行の本店営業本部・井崎一亮(高橋一生)は、グループ会社であるホープ自動車の経営計画に疑問を抱き、独自の調査を開始する。それぞれが突き止めた先にあった真実は大企業の“リコール隠し”―。果たしてそれは事故なのか、事件なのか。
ここから巨大企業vs.中小企業との闘いが始まるのは、
同じ作者の原作がドラマになった「陸王」でも見ていたとおりですな。
トーンはいささか異なるも、基本的な構図は似たものであるわけでして。
で、この手の話に興味を感じはするものの、見ていて実に悩ましいといいますか、
結局のところは人間のいやぁな部分がどうにも浮かび上がってきてしまうものですから。
多くの人は(たいていの人はといっても言い過ぎではないのかも)何らかの組織に属しておりますな。
それはヒトが生きていく上で都合がよかったり、便利だったり、勝手がよかったりするからでありましょう。
ですが、一朝、その組織に不具合が生じたとき、守りに入ることがあります。
属する組織あってこそ、今の平穏な(?)毎日があると考えれば、
それを壊したくないと考えるのが自然ともいえましょうし。
こんなふうに言いますと、物語になぞらえれば
「ああ、リコール隠しにやっきの大手自動車会社のことを言っているのだあね」と思うところかと。
さりながら、ちょいと目線を変えてみるならば、中小の側の運送会社社長も言ってましたな。
「社員の皆を守るために云々」てなことを。
これって、社員を守るためには会社を守ることが前提だよねという考えにもつながることであって、
巨大企業対中小企業の闘いを前にすると、つい弱小の側に肩入れしたくなるという、
そうした構図で話はできているものの、その弱小の側でもやはり組織は組織であるが故の理屈に
実は変わらないものがあったりもするのですよね。
あなたたちを守ります。これ、すなわちあなたたちの属する組織を守ることなんです。
で、ひとりひとりを守るのかと思えば、その実、組織をこそ守るというのが先になったりもするという。
この理屈は何ともまことしやかに、組織を「国」というものであると考えても当てはまってしまうという。
あなたたちを守ります、そのために「国」を守ることが必要ですとなって、
挙句「国」を守るためには多少の犠牲はやむを得ませんてなふうに、いつしかすり替わったり…。
何ともおかしな話であるわけながら、なんとなく「そうだよなあ」という気にもさせられてしまう、
否、現にそう考えてしまっている向きもあるのではなかろうと考えると、なんとも気持ちの悪い話なわけです。
ですが、ふと思い至ったことには、部分を守るには全体がちゃんとしなくちゃいけない、
結果、全体を守るには多少の部分は犠牲になっても仕方がない…ということは
そもそもヒトひとりひとりの「からだ」がそんなふうにできていると。
これには自身、ハッとしてしまいましたですよ。
人間のからだという全体はひとつひとつの細胞からできている。
細胞としては個々に生きていて、その生を全うしたところながら、
ヒトとしての全体が健全に機能するためには部分を切り捨てなくてはならないこともあるわけで。
「空飛ぶタイヤ」のような話に接すると、誰しも義憤にかられるところでありましょう。
そこには現実にある企業と事件が下敷きになっていると知っていればなおのことかと。
ですが、先にも触れたようなことに気付いてみれば、
実は細胞レベルでヒトは組織全体を守りにかかるようにできているかもしらんと。
古来、根っこは同じと思えるようなことが繰り返し起こってきたのは、
そんな原初レベルのことと関わりがあるのかもと思うと、なんともしようのなさに襲われたりもしようかと。
しかしながら、本能みたいなところでばかりヒトは生きてはいませんから、
仮にそうした性向のようなものがあったとして、そのままにされてばかりでは
ヒトのヒトたる由縁にも悖るところのような気もするのでありますよ。
こうした話に取り上げられてしまうような現実は確かにある。
それはある種、原初的なところで仕方がないのかもしれない。
が、しかし「だから仕方がない」と片付けてしまうとしたら、それはヒトでなくていい話でありましょう。
わざわざヒトがやらなくっていいことをやってしまうのが、文字通りに「人でなし」であるならば、
ヒトは人でなしにならないようにできる余地を秘めている、そのことに皆気が付こうよねというのが
こうした話のレゾンデートルなのかもしれませんですね。
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