時折、毛色の変わった(普段なら読みそうにもない、というべきか)本を手に取ってみることがありまして、
「モアイの白目」という、この風変りなタイトルの本もそんな一冊でありますな。
著者は比較行動学・発達心理学を専門分野とする研究者の方ですけれど、
どうやらさまざまな研究論文を読むのがお好きであるそうな。
たまたま(?)眼科関係の専門誌にエッセイを求められて、
目に関する研究論文を渉猟すると面白いものがたくさん見つかり、結果的に連載は10年に及んでいると。
その目に関する連載を中心に(その他のことも含めて)まとめられたのがこの一冊でして、
イースター島に立ち並ぶモアイ像は今でこそ岩肌剥き出しながら、作られた当初には彩色が施されており、
その目には黒目、白目がちゃあんとあった…てなところから、タイトル付けされているようでありますよ。
およそ考えてみたこともなかったですが、白目があるというのは
生き物の中で(モアイは生き物ではありませんけれど)特別なことであるような。ちとここで引用を。
白目が存在するのはヒトだけである。白目があると、互いの視線がわかりやすく、互いの意図や目的や感情などが理解しやすい。ヒトは相手の白目からさまざまな情報を読み取っている。白目はヒトのコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしているのだ。
例えば、牛が目をぎょろりと動かすと端のほうにわずかながら白目が見えますので、
ここで「白目が存在する」というのは「白目が他社から見えている」と言うべきかもですが、
そうは言っても同じ霊長類でもサルの仲間などは、白目に相当する虹彩の周囲部分が
白ではなくして茶色っぽかったりする。そうしたことからも「ヒト」の白目は特別なのでしょう。
白目があることによって視線を読み取りやすく、コミュニケーションを取りやすいことは
言語ばかりでなく、ヒトの社会性が形作られる上で相当に重要なことだということなんですなあ。
そういう機能があるからなのか、それだけヒトは目に注目をしているようでして、
その注目度のなせるわざでしょうか、これまた考えても見なかったことを引用させてもらおうかと。
実際の目の位置はというと、頭の上から顎の下に縦線を引いたとき、この線のちょうど半分のところだそうだ。プロの絵描きが顔を描くとき、まず顔の中央に十の形の線を引くのを見たことがあるだろうか。この十字線の横棒上に目を描くのである。そう聞いて「ずいぶんと下のほうだな」と思ったのは私だけではないはずだ。それくらい、誰もが目の位置は顔の半分より上にあると思っているのである。
こんなふうに思い込んでしまう理由にはいくつかの仮説があって、
いまだ研究段階であるようですけれど、目よりも上の部分には額と髪とがあっても
コミュニケーション上はあまり重要でない(額のしわが何かを語ることがあるかも?)わけで、
そこをざっくり無視してしまうと、顔の部品の中で目は上の方と受け止めるのかもですね。
と、かようにコミュニケーションに関わる働きもしている「目」ですけれど、
「目」の本来業務たる視覚という点でもまた、そんなこと考えてもみなかったということが。
何度も申し訳ないながら、またしても引用を。
今見ている世界は、本当に「今」なのだろうか。なぜこんなことを考えているかというと、私の周りの光が、私の網膜に届いてから私が認識するまでには時間がかかるからだ。その処理時間はだいたい0.1秒だそうだ。0.1秒くらいならたいしたことないと思うかもしれないけれど、時速60キロメートルで走っている車だったら1.7メートルも進んでしまうことになる。
これによりますれば、目の機能を使って今まさに見ていると思っているものは
0.1秒前の世界を脳が0.1秒後に補正して見せてくれている世界だということになるようで。
車が来た!と認識したときには、その車は1.7メートル先を走っているのですから。
未来予知などできるはずないと思いながら、実は瞬間瞬間でやっていることなのですなあ。
つくづく人体とはとんでもない作られようだと思わずにはおられなくなるのでありますよ。
そんなこんなの話は何もヒトに限った話題ばかりではないでして、
例えばアフリカの草原で牛を狙うライオンも目には注目しているのであるとか。
獲物の目がある方が頭ですから、目のある側に襲い掛かっても発見されるのが早く、
逃げられてしまう可能性が高いため、ライオンは目のない側、お尻側から忍び寄るそうな。
そこで(科学者とはいろんなことを考えるものですなあ)牛のお尻に目の玉模様を書き込むと
襲われる率が減ったというのが実験結果であったというのですね。
古来「目は口ほどに物を言う」と言われて、ここでの話からすると
「なるほど」と思ってしまいそうになるところですけれど、
その実は目が語るということだけではなくして、
語っていないのに語っているように受け止めてしまうところもあるという。
思わせぶりな視線というのは、相手が思わせぶりなことを伝えたいのではなくして、
相手が思わせぶりな視線を送っていると思い込んでしまうことである…となれば、
「う~む、気を付けなければいけんなあ」と思ったり…する人がおいでではないでしょうか(笑)。
