さて、旅の2日目の始まりは大阪城でありまして。

ずいぶんとべたな印象ですけれど、これまで何度も大阪に行きながらも

およそ出張ばかりでしたので、大阪城は環状線からちらと見たことがあったかな…くらい。

そんな具合でしたので、一度は訪ねてみてもいいかなと朝いちばんで出かけてみたわけで。


いざ大阪城へ

大手門へ向かうこのあたりは歩いている人もまばらな状態ですけれど、

これが奥へと進むにつれて、方々からのアプローチ経路を通って

ヒトがわんさかとやってくるのですなあ。


今考えると、そのわんさか具合を避けて写真を撮ったのだったなと思いだすわけですが、

眼前にした天守はかように青空を背景に聳えておるのでありました。


大阪城天守

ここまでのようすを見て、これは天守に登るには行列必至かと思うや、さにあらず。

朝いちばんとあってか、さしあたりすいすいとチケット売り場を抜けているようすでしたので、

混まないうちにと、まずは天守へと向かうことにしたのでありますよ。

実際、下りて来たときには行列ができていました。


ということで、これから中へと入る施設の名称は「大阪城天守閣」なのですけれど、

ここでしきりに「天守」と言ったりしておりますのは、しばらく前に訪ねた松江城 で聞いた話に

「そうか」と思ったからでして。「天守閣」という言葉は明治になってから作られたと。


とまれ、そんな大阪城天守に置かれた「大阪城天守閣」なる博物館。

英文では「Osaka Castle Museum」というように、まさしく博物館なのですなあ。


もちろんといっていいのか、大阪城といえば太閤さんのお城というわけでして、


展示のメインは豊臣秀吉関係、そして大坂の陣にまつわって真田信繁もクローズアップ。



戦闘のようすを描いた屏風から再現したフィギュアの中では、

しっかり真田が目立っておりましたよ。



それはともかく、むしろ目を止めるのはこうした地形の関係ですかね。

資料としては大坂冬の陣に際しての陣形を示した地図ですけれど、

大阪城は上町台地のへりにつくられたということが分かる気がします。


城の北側を大きな幅で大和川が流れておりまして、

先に触れたように河口を堺の方に移す前はこのように流れていたのでしょう。

さらに時代を遡れば、大阪城のある台地の下は河内湖という

湖になっていたのだそうですなあ。


そう考えると、大阪には湖の名残の湿地だったところも多いわけで、

その点、江戸の始まりとも似通ったふうに受け止められるところです。

で、そんな大阪の町のようすを最上階から眺めてみることにしたわけです。



こんなふうに見下ろしますと、天守はもちろん高い、そしてお城はも盛り土の上にある、

にしても平らに広がる土地は低い所にありますよねえ。

このあたりにかつては大和川が流れ…というより、河内湖があったのでありましょうか。


とまあ、おそらく一般的には戦国時代を思い浮かべる場所にいて、

どうもそれよりさらに昔のことにばかり思いが行ってしますのは、

旅の入り口が古墳だったりしてせいがあるのかも。


もっともそれと合わせて、大阪城は太閤さんのお城と目されながら、

その実、今ある場所のお城は徳川が建てたもので豊臣の城ではない…というあたりも

少々影響しているかもしれませんですね。なあんだってな感じで。


確か「ブラタモリ」でも紹介していましたですが、大坂の陣を終えた徳川方は

秀吉の城を徹底的に破壊して、別に立派なお城を作ったことを紹介してましたなあ。



右側が豊臣の天守、左が徳川の天守。

天守の場所も何も一切合財、秀吉の城ではなくなっているわけで。

ただ、城の敷地内を歩いてみれば、それなりに痕跡といいますか、

何かしらの名残りはあるもので、続いてはそのあたりに目を向けてみるのでありました。