堺市役所展望ロビーの高みから百舌鳥古墳群 を眺めやったのち、

それでは古墳群を訪ね歩いて…ということにも魅力は感じつつも、

今回の訪ねどころはそればかりではないもので、先へ進むのでありまして。


当初はこの後大阪市内への道すがらに、

これまでの話の流れにつながる住吉大社に詣でようかとも思っていたですが、

ふと思い返せば当日は「関西文化の日」。


堺市博物館 の入場が無料であったのなら同じく堺市の施設であれば入場無料であろうかと、

いささかよこしまな(?)思いから訪ねたのがこちらの施設、堺市立文化館でもある

堺アルフォンス・ミュシャ館でありました。


思い込みから無料で入れるつもりになっていたですが、実はこの施設、

各種施設が一斉に無料となる日とは別の11月3日を無料入館日にしておったのですなあ。

後から「関西文化の日」のフライヤーをじっくりみたら、そうなっておりました(笑)。

そんなことはともかくとして、堺でなぜミュシャなのか…。


かつては東京でも知られた「カメラのドイ」、

新宿を舞台にヨドバシカメラやビックカメラなどと安売り合戦に鎬を削ったこの会社は

近頃は名前を聞かないなと思いましたら、2006年に破産していたようで。


その「カメラのドイ」の創業者がミュシャのコレクションを築いており、

会社がなくなるより前の1990年に亡くなった折、かつて住まったことのある堺市に

遺族から寄贈されたのであるということなのですね。

ですから、堺とミュシャが直接的に何か関わりがあるというわけではなさそうで。


と、また前置きが長くなりましたが、

訪ねた当日は企画展「世紀末のパリ ミュシャとポスター」が開催中。

まあ、歴史の話が続く合間にこうした話が紛れ込むのも一興ということで。


「世紀末のパリ ミュシャとポスター」展@堺アルフォンス・ミュシャ館

ヨーロッパの諸都市では今でも大判ポスターの広告塔が随所に見られますけれど、

それだけにポスターをアートと見る目は日本以上でありましょうね。

分けても世紀末パリではさまざまな作家が競って独自性あるポスターを生み出したわけで。


その頃のポスターをあれこれ見比べてみると、

「これはミュシャかな」とか「あれはカッサンドル かな」とか思うわけながら、

時には正解、時には大はずれ。作家たちが互いに影響しあっていたのなと思うところです。



フライヤー裏面に紹介されている、こうした作品を見ましても

小さいので分かりにくいにせよ、それだけになお一層、相関に想像をめぐらすのですよね。


いちばん左はミュシャの作品ですけれど、

ミュシャというとサラ・ベルナールひとりの立ち姿のイメージが勝ってしまって、

こうしたがちゃがちゃとした描きようにはついついロートレックを思い出したり。

(ロートレックより描線がかっちりしていて筆遣いはまったく違いますけれど)


右から二番目のウジェーヌ・グラッセ作品は

ミュシャが「ジスモンダ」で一世を風靡する前に作られたものだけに

女性ひとりの大写しと背景の工夫というヒントをミュシャに与えたのかもとか思ったり。


右側はアール・ヌ-ヴォーからアール・デコに風潮が移った時代でしょうか、

どうしたってカッサンドルを想起せずにはおれないような。

まあ、作者のポール・コランはカッサンドルほかの育成に関わったようですから、

「なるほど」ではあるんですけどね。


そんな数々のポスターが見られる企画展の一方、ミュシャ・コレクションがメインの同館なれば、

ポスターだけに刷り物として見られる機会の多い作品ばかりでなく、つまりその分野だけでは

窺い知れない画家ミュシャに近づける作品も展示されているのですな。


上にフライヤーから引用したうちの、左から2番目の作品などはまさにそのひとつ。

1894年(ですので、「ジスモンダ」を出す前年)に描かれた油彩「ポエジー」というこの作品を始め、

油彩の「ハーモニー」、水彩の「瞑想」、線描の雑誌「ココリコ」の挿絵などを見ても、

ポスターでは出せない(商業的に敢えて出さなかった?)個性をぶつけたものではなかろうか、

とまあ、そんなふうにも思ったところでありますよ。


これらの作品は一時期に集中しているわけではありませんので、

のちの大作「スラブ叙事詩」へと向かっていくミュシャは

その思いを常に持ち続けていて、時折それが顔をのぞかせる作品が

ひょこっと出てくるのかもしれませんですね。