さて、ワイマールの旧市街歩きをひと段落しまして、

いろんな方面へのバスが発着するゲーテ広場に戻り、バスに乗り込んだのでありますよ。


まあ、次に目指した目的地までは歩いて行けない距離ではないものの、

朝にワイマールの駅からゲーテ広場まで(これも無茶苦茶遠いわけではない)バスに乗る際、

一日乗車券を買っておいたものですから、この際、こまめに利用しようというわけで。


何しろ旅先ではとかく歩きまわることが多いですから、

セーブできるところでセーブしておきませんと旅の最後までもたないことにもなってしまう。

それだけ年を重ねてしまったか…ということでもありますが。


とまれ、そんな具合で利用したバスの降車地点は「Bauhaus Universität」という停留所。

つまりはバウハウス大学ワイマールの目の前だったのでありますよ。


ここがまさしくお目当てポイントというわけではなかったものの、

たまたまにもせよ目の前にたどり着いたとなれば、どれどれと

キャンパスをゆらり歩いてみようかと思ったようなわけでして。


バウハウス大学ワイマール本館

どうやらこちらが大学本館のようですけれど、

いかにもデザイン関係の大学らしく「モダーン」な佇まいではなかろうかと。


ただ、バウハウスと聞くとデッサウの方を思い浮かべがちながら、

その実、起源はワイマールにあったのですなあ。


ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公はかねて文化芸術への意識が高く、

ゲーテの招聘は言うに及ばず多くの文化人が集っていたわけですが、

これは20世紀初頭になってもあいかわらず。


「アール・ヌーヴォーからモダンデザインへの展開を促した人物」(Wikipedia)と言われる

ベルギーの建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデがワイマールに招かれたのですな。

そこで、ヴァン・デ・ヴェルデは1902年にまず工芸ゼミナールを開講、

これがのちに工芸学校となり、バウハウスの元になったということです。


やがて、バウハウスの本体はデッサウへ、ベルリンへと移転してしまうわけながら、

ワイマールの校舎は現在、「バウハウスの流れを汲む国立の総合芸術大学」となって、バウハウス大学ワイマールを名乗っている、とまあ、ざっくりいうとそんな流れであるそうな。


もちろん、それまでの間に最先端の芸術家たちが指導に当たったとなれば、

当然に方向性の違いなども闡明になるところでして、

そうした面でのがたがたごたごたもあったはず。

そこいらもまた興味深いところですが、ここでは深入りしないことにして、

さらりと構内をめぐってみるということに。



建物がスタイリッシュなら、ベンチもまたユニークなデザインですなあ。

利用している人がいるのですから、座り心地も悪くはないようですね。



果たしてこちらもベンチなのか、はたまた制作中のオブジェでもありましょうか。

一方で、斬新というまでもない建物にも一歩足を入れるとレトロモダンと言いますか。



さすがに建物内をうろうろするのは何ですので、敷地の外からも眺めたりしましたが、

どこまでが大学で、どこからが民家か判別がつきにくく…。



よくよくプレートを見てみれば、こちらの建物もやはり大学。

それが証拠に?さりげなく窓に瓶が並んでいるところなど、

ついついモランディを思い出したりしてしまったりも。



とまあ、そのようなバウハウス大学ワイマールの周囲は大きな木立に囲まれて、

いい環境ですなあ。次なる目的地はそんな木立の中にあったのでありますよ。