半田運河沿いにMIZKAN MUSEUM の建物を廻り込んで…と思いましたら、
堤防のところに何やらメタリックなプレートがはめ込まれていることに気付いたのですね。


半田運河の眺め

近付いてみますと「船頭重吉を顕彰する碑」とあります。
文化十年(1813年)、半田の小栗重吉を船頭として14人の乗組員を乗せた督乗丸が嵐に遭い、
以降484日間にわたる漂流を経て、ようやくカリフォルニアのサンタバーバラ沖合で

英国商船に救助されたということだそうで。


船頭重吉を顕彰する碑@半田運河

重吉たちの漂流は「Longest time adrift at sea」としてギネスブックに載っていて、
大黒屋光太夫 らの境遇とはまた違った苦難の日々だったことが偲ばれます。
ただアメリカ西海岸沿岸に流されながら身柄はカムチャツカに送られ、
ロシア船で帰国した…とは、光太夫より後の時代なだけに彼らよりはスムーズに

帰国が叶ったのでありましょうか。


まあ、それはともかく次の目的地へと歩いてく道すがら、
かつては豪商のまちだったのだなあと思うようなあれこれを目にいたしましたですよ。


半六庭園

半田運河と並行してひとつ奥の路地にある半六庭園。
ミツカンの創業家である中野又左衛門家と同様に、

本家である中野半左衛門家の分家にあたりましょうか、
海運業や醸造業で富を築いたという中埜半六家(明治以前は中野)の旧邸と庭園です。


もそっと名鉄の駅に近いあたりには明治44年(1911年)に建てられたという

半六家の別荘もありました。こちらは明治後期だけに、

なんとも洒落た洋風建築となっておりますなあ。


旧中埜家住宅

元に戻って半六庭園のほぼ向いには、

やはり醸造業を営んでいた豪商のひとつ小栗家の店舗併用住宅が。
明治初期の建築とあって、江戸の名残りを感じるような建物ですよね。


小栗家住宅

半六庭園を行き過ぎますと黒板塀が続くようになりまして、「国盛 酒の文化館」が現れます。
醸造業が盛んだったという半田らしい施設ながら、

ちょうど昼を挟む休憩時間のようでしたので、寄らずじまい。

ちと残念ではありますが。


国盛 酒の文化館

そういえば、前夜の晩飯の際に飲んだのも国盛ブランドのひとつでしたなあ。
純米吟醸「半田郷」とあって、国盛の文字は小さく入ってますけれど。



とまれ、この国盛を造っているのが中埜酒造なのですけれど、
どうにも中埜さんが多くてどうにも関係の整理が付かなくなったきます。
この後、JR武豊線の線路を渡り越したあたりにも大きな敷地を塀で囲ったなかに
蔵がたくさん並んでいるところがありました。中埜家の資産管理会社になっているとか。


紺屋海道へ

電柱が邪魔ですが、右手に蔵の並びが見てとれようかと。
この角で曲がり「紺屋海道」(こんやかいどう)と呼ばれている裏道へと入って行きます。


「江戸時代、当時の上半田の中心的な通りであった」ということで、
「昔の風情が漂う懐かしいまち並みが一部残っています」という解説のとおりに
本当に少しだけ「らしい」佇まいが見られましたですよ。




半田市の発行する観光ガイドにも掲載されてはいるものの、
昔の佇まいを目当てにここを訪ねてもがっかりすることになるのでは。
半田運河と半田赤レンガ建物を結ぶ散歩道ということであれば、
そういうものかと思うかもしれませんが。



ということで、次の目的地としていた半田赤レンガ建物に到着いたしました。
建物の由来などにつきましては、この次に。


半田赤レンガ建物に到着