伊勢湾側の常滑
から路線バスで知多半島を横断し、三河湾側の半田にやって来ました。
名鉄知多半田の駅前で一泊ののち、半田の街なかへと歩き出すのでありますよ。
JR武豊線を地下道で潜り越してしばし歩き続けておりますと、
こんな場所に出くわすのですなあ。
見える水路は半田運河でありまして、
傍にある「ようこそ、半田運河・蔵のまちへ」という解説板には、このような説明が。
半田運河が位置する衣浦港は古くは衣ヶ浦といい、天然の良港であったことから江戸時代には多くの千石船が行き来していました。この時代、半田では醸造業が盛んとなり、半田運河より酒、酢などが江戸を中心に運び出されていきました。中でも酒造りから出る酒粕を原料とする粕酢はこの地で初めて製造されたものであり、現在の江戸前寿司の隆盛をもたらしたと言われています。
と、運河沿いには「黒板囲いの醸造蔵」が並ぶことからの「蔵のまち」ということらしいのですが、
見えている蔵にはなにやら見慣れたマークが付いておりますなあ。
ここで振り返ると、古風な黒板塀とは打って変わって現代的なビルがどおんと建っておりまして、
お酢はもちろん、味ぽんやおむすび山などでも知られるミツカングループの本社ビルでありました。
先の解説に「粕酢はこの地で初めて製造された」とありましたが、
それがミツカンの元である中埜酢店であったということなのでありますよ。
ところで、見慣れたミツカンのマークは1884年(明治17年)に商標条例が施行されて、
自社専用とする商標の登録が必要になった際、予て使っていたマークの登録が
他社に先を越されてしまった結果として誕生したものであるとか。
当時使っていたマルカン・マーク(丸の字の中に「勘」の一文字が入ったもの)は
中埜酢店の外のお酢屋さんも使っていたようですから、早い者勝ちでは仕方がない。
そこで元々家紋であった三つ引き両の三本線の下に小さな丸を配して
「三ツ環(ミツカン)」というマークを新たに作り出して商標にしたそうな。
本来の姓は中野であったところを、このとき同時に中埜に改めたといいますから、
仕切り直しの再出発てな心持ちだったのかもしれませんですね。
さらなる仕切り直しは近年のことでしょうか、ミツカン、ミツカンと言ってしまってますけれど、
正式名称としては英文字で「Mizkan」になっているのですなあ。
単純にローマ字表記をすれば「Mitsukan」とでもなるところですけれど、
「tsu」の音は「z」で表した方が欧米ではスムーズに読んでもらえるとの判断があったようです。
とまあ、かような話は本社ビルお隣にあるミュージアムで仕入れたのでありまして、
ともあれ「Mizkan Museum」へと歩を進めることにいたしましょう。
実は当初、常滑を見て廻った翌日は名古屋でもふらふらしてくるかあと思っていたですが、
ふいと「Mizan Museum」の存在に気付いて、名古屋はこの後いつでも行けるけれど、
この機を逃して半田に出向くことがあろうか…てなふうに考えて、やってきたという次第。
いわば、半田で訪ねるメインスポットというわけなのですな。
では、こちらの入口から。事前予約でガイドツアーに参加する形でして、
6月の平日だというのに思いのほか参加者がおりましたなあ。
入場料は300円かかりますけれど、まあ、300円分のお楽しみは十二分にありましたですよ。
で、ミュージアムの中のお話はこの次にということで。