なまじ「人生はシネマティック!」てなタイトルだったもので、
てっきり映画館あたりで人生が交錯する男女のコメディーでもあろうかと思って見たですが、
どうやらそういう映画でもなかったようで。
確かにコメディー味はありますけれど、
いささかブラック(とは言いすぎながら)的と見ることもできましょうか。
話は映画制作絡みのストーリーですけれど、時代背景が第二次大戦下、
ドイツの空爆が続くロンドンで、政府情報局の指導よろしく英国民の戦意高揚につながる
いわばプロパガンダ映画を作るというのですから。
適齢男性が続々と戦場を送り出されたため、
情報戦の一翼を担う映画制作の現場も人材が払底気味。
それまで政府情報局のコピーライティングテントう部署で秘書を務めていたカトリンが
本来の担当者不在から書いた新聞広告のコピーが情報局映画部の目にとまり、
脚本作りの手伝いをすることになるのですな。
まあ、本人も気づかぬ才能の目覚めとでもいいますか、
思いのほか仕事に打ち込むカトリンでありました。
そこへダンケルクの撤退成功の陰で、二人の民間女性が漁船を操り
兵士の帰還を助けたという美談があったと聞き知った映画部、
これを映画化するということになっていきます。
カトリンを含む脚本家3人がチームを組んでスクリプトを書き上げ、
撮影に臨むことになりますが、あちらからもこちらからも横やりが入りこむのですなあ。
かつては大スターだったらしきベテラン俳優(ビル・ナイの「いかにも」な役作り)は
何かにつけ自分の役にいい場面を持ってこようとカトリンに注文をつけることしばし。
それなどはまだまだかわいい横やり、軍部からは「米軍の参戦を引き出すために
アメリカ人をかっこよく出演させろ」と言ってくる始末。
部分の書き直しでは済まない変更要請に脚本家チームは地団駄を踏むわけですが、
なんとか全体のストーリーのつじつまを練り直すという作業が繰り返されるのですなあ。
このあたりは、見ていて三谷幸喜の「ラヂオの時間」を思い出すところでありますよ。
「ラヂオの時間」の脚本家の方は、自分の書いた脚本をそれ自体ひとつの「作品」として、
あたかも我が子でもあるかのように大事に思っているわけですが、それが制作現場で
ずたずたにされていくのを目の当たりにしながらも、要望に応えていくという職人技を発揮します。
「人生は…」の方も状況は似たようなものであるものの、
脚本自体に思い入れが強いというよりも映画としての仕上がりがいいものになってほしい、
そのあたりに最終目標があるせいか、押し気味のスケジュールを呪いつつも、
精力的に改変を手掛けていっているような気がしたり。
そんなことから思うところは、どちらかといえばということではありますが、
前者の方には脚本家=芸術家、後者には脚本家=職人の色合いがあろうかと思うところです。
そして、前者と後者を比べた場合、ついつい前者の方を有難がりがちでもあろうところながら、
後者は後者で大した業を持っておるなと思うのですよね。
むしろ、器用さという一点においては後者の方が優っているのではないかとも。
ヨーロッパには(といって、どこの国でも同様ではないかもしれませんが)
伝統的に職人を高く評価するところが今でも残されていたりすることも影響していましょうか。
ちと映画そのものとはずれた話になってきてますが、
いわゆる芸術家とはありようがあるとは今さらながらに思ったものでありますよ。

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