引き続き常滑の「やきもの散歩道」をたどっていきますと、
途中途中でこのような埋設物が見られます。


やきもの散歩道の道標のひとつは電線管

本来の用途としては「電線管」、地中に埋設する電線のための陶器製カバーのようなものかと。
絶縁体としてのやきものは碍子に使われているのは知っていましたけれど、
こういうものもがあったのですなあ。



というところで、ほどなく「登窯広場」に到着。
まあ、そぞろ歩きの休憩所のような場所と言えましょうか。


常滑の登窯広場

広場脇には「展示工房館」なる施設がありまして、
昭和50年頃まで使っていた窯を見学できるというでしたので、取り敢えず中へ。


登窯広場展示工房館の中へ

両面焚倒焔式角窯

「両面焚倒焔式角窯」というのが正式名称だそうですが、
仕組みとしてはこのようになっていると。


両面焚倒焔式角窯のしくみ

窯の両側に焚き口があることから「両面焚」、
炎は焚き口に被せて置かれた火屏風によって外側壁面を伝って天井に登り、
両側の炎はぶつかって中央下部の煙道へと降りてくる…で「倒煙式」、
これが窯の名称の由来のようです。



左右の下部に火屏風が見えますですね。
一方、窯の内部に置かれた製品がまた何とも常滑らしい実用品ではなかろうかと。
見てとれるのは必ずしも家庭向けという品々ではありませんけれど、
解説によれば植木鉢やら火鉢なんかをずいぶんと焼いたようでありますよ。


製品は必ずしも民生品ばかりでない…となったときに、
その典型?が建物外に置かれていたのですなあ。
上の写真で煉瓦煙突の隣に見える大甕です。


ロ号大甕@登窯広場展示工房館

煙突と見比べるだけでもその大きさが偲ばれるものと思いますが、
「ロ号大甕」と呼ばれたこの製品、戦時中の兵器製造用だというのですね。


太平洋戦争末期、海軍からの命令を受けて作られたこの大甕は
新兵器と目されたロケット戦闘機・秋水に使う燃料製造装置の貯蔵槽となる予定だったとか。
実際には秋水の計画は頓挫して、大甕も本来の意図どおり使われることはなかったそうですが。


ちなみにこの話は戦争も末期で、貯蔵タンクをやきもので作らねばならないほどに
金属が払底していたのかと思うところながら、同じ時期には硬貨(要するにお金)までも
やきものに頼ろうとしていたようでありますなあ。


発注先は常滑ではなく瀬戸と有田だったようですけれど、
正式発行する前に終戦となったことから本来的には使用されていないはず。
にもかかわらず、ネットオークションに出回ってたりするのはどうしたことなのでしょうねえ。


それにしても、電線管といい、軍事用といい、お金といい、やきものの用途は実に多様ですな。