さてモスクワで一泊の後、朝からツアーバスは郊外へ向けてひた走ることに。
常に渋滞を懸念しておかなければならないのがモスクワでの車移動のようですけれど、
幸いにして比較的スムーズに進み、1時間少々で目的地に到着、

たどり着いたのはセルギエフ・パサドでありました。


1345年、聖セルギイが創設したトロイツェ・セルギエフ修道院、

その門前町という意味合いでセルギエフ・パサドという町の名になったということでして、

当然にしてメインスポットは世界遺産でもある修道院ということになるわけです。


聖セルギイの像

塀に囲まれた修道院の外側には聖セルギイの像が。
周りの人たちと比べてみると像の大きさが想像できましょう。


弟子たちは各地に400もの修道院を作ったと言いますし、
モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイの戦勝祈願に対して祝福を与え、
(伝承ではイリヤ・ムーロメツ も関わった)クリコヴォの戦いでの勝利を呼び込んだ。


モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイに祝福を与る聖セルギイ

この戦いがロシアを「タタールのくびき 」から解放する契機となったとなれば、
聖セルギイの像が大きく造られたのもむべなるかなと思ったりするところです。



門を潜り抜けますと、上の図像に見るような聖セルギイを讃える壁画がたくさん、

さぞかし尊崇を集めたことでありましょう。


と、敷地を巡る厚い壁を抜けた先、敷地内には数々の建物がありますな。

修道院というのは、それはそれでひとつの完結したコミュニティーを形成していますから

(その完結度合い、外界との隔たり度合いなどはさまざまありましょうけれど)

さまざまな用途の建物を配すことになりましょうから。



でもって、まず最初に中を巡ったのがこちらの建物、大食堂教会(トンペザ聖堂)です。
その名のとおりにかつては修道院の食堂だった建物なのだそうですが、
政争に巻き込まれた若き日のピョートル(大帝となる以前ですな)が避難してきた際に
ここを宮殿代わりにしたとなれば、ただの食堂ではありませんなあ。




広い空間の壁面、天井にびっしりと装飾が施されて、
ロシア正教が視覚に訴える要素を強く持つてなことを聞いたことがありますけれど、
なるほどなあと思ったものでありますよ。



こちらは鐘楼でして、高さ88mはかつてロシアで一番高い建物だったこともあるとか。
鐘楼の右手下に見える、公園の休憩所のような丸屋根は聖水の泉なのだそうですが、
近くで見ると周りの建物と相俟って、あたかも遊園地のようでありますなあ。



さて、お次はこの修道院の中心となる建物、トロイツキー聖堂へと入っていきます。
が、聖セルギイの棺を安置した、取り分け聖なる場所とされていることから写真不可。
ですので、建物の外観だけ押さえておいたものの、外側は思いのほか質素ですよねえ。



とまれ、見せる宗教の面目躍如がこちらのウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)ですな。
屋根の金色はイエス・キリストを、青色は聖母マリアを表しているということで。



中に入りますと、壁面にはイコン、イコン、イコン。
天井までも埋め尽くす壁画もまたすごいものですなあ。





豪華絢爛たる聖堂内ですけれど、ロシア正教の教会の違いはその装飾性だけではないようで。
堂内に椅子が無いのですよね。皆、立ったままで礼拝するのだそうです。
そして、イコンだらけの壁(イコノスタシス)で「至聖所」なる部分が隠されていることですかね。


元は同じでも、典礼やら何やらカトリックやプロテスタントとは多くの違いがあるのは当然ながら
それをあまり認識していなかったなあと改めて思うところです。
まあ、これもロシア正教の聖地を訪ねたからこそでありましょうね、きっと。