ようやっと大鳴門橋
が見えて来たところで、
その先にまっていたのはどこもかしこもいっぱいの駐車場でありました。
やがて流れに沿って美術館を通り越し、誘導員の案内に従ってしばらく進んだ先に
これまた大きな駐車場があり、どうやら美術館との間をシャトルバスが往復しているようで。
ここで真っ先に大塚国際美術館に行こうと思っていたわけではありませんが、
美術館の駐車場に入ったわけですし、また辺りを散歩しようにもあまりに天気がよろしくない。
即座にシャトルバスへと乗車したのでありました。
ほどなくたどり着いた大塚国際美術館、
駐車場のようすからして自明なことながらたいそうな賑わいでしたなあ。
順路の最初に導かれるシスティナ・ホールは人で溢れんばかり。
もっとも昔々に訪ねた本家本元のシスティナ礼拝堂もごった返してはいましたが。
ご存知のとおり大塚国際美術館は
世界各地の名画を陶板で再現したものを展示している美術館でして、
確かにその精巧さは大したものだなと思うところです。
ミケランジェロの「最後の審判」もこれこのとおり。
同じ大きさの陶板をつなぎ合わせる関係で、どうしても継ぎ目が見えてしまうものの
「ほお」とは思いましたですよ。
ひととおり周れば4kmとか案内係が言ってましたけれど、
丹念に見て行ったら一日では見切れないだけの展示数ではありますね。
だもんですから必然的に飛ばし飛ばしになりますが、
教科書でよく見かけるアレクサンドロス大王のモザイクあり、
ラファエロの「アテネの学堂」あり、ボッティチェリの「春」あり…。
もちろんこの後に近代絵画へと展示は続き、あれもある、これもあるという具合に、
だんだんと「ああ、ここは東武ワールドスクエアの絵画版なのだなあ」と思えてきたのですね。
縮小サイズではなく原寸大ではあるも、要するに「来た、見た、撮った」ということで
見た気になれる場所てな意味で。
必ずしもこれは否定的な意味合いばかりではなく(全く否定的でないとは言いませんけれど)、
例えばここで本物に近い作品を見たことで美術に関心を持つかもしれないといった
啓蒙的な要素もあるでしょうし、さまざまな理由で本物が見たくても見られないという人に
画集などでは感じ取れない原寸大のイメージを提供するといった要素もありましょうから。
現に我がこととして考えてみても、
行けないわけでないとはいえ出向くまでになかなか至らないパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂や
ロシアまで行きながら立ち寄れなかったトレチャコフ美術館にあるウラジーミルの聖母子とかは
当面の渇きを癒すことにはなりましょうか。
ただ、根本的に混んでいる中でアートと交信することはできにくいと思っている方なので、
ここを訪ねるにせよ、GWというタイミングではなかったなと思う大塚国際美術館なのでありました。