江戸東京たてもの園の園内を巡って、歴史的建造物のあれこれを見てきたわけですが、
最後はひとつ建物ではないものを。都電の車両でありますよ。


都電7500形

都電が(荒川線を残して)廃止されたのは確か小学校の終わり頃だったでしょうか。
近くに電停があったものですから、わりと利用機会はあった方だと思っているも、
何故かこの展示車両を見て懐かしさが今一つなのですよねえ。


理由としては、これが7500形という車両であることが挙げられるようで…とは
展示解説を見て、知ったことなのですけれど。


なんでもこの7500形は(荒川線だけになってからの新型である8500形を除けば)
都電で最も新しい車両なのだとか。ですが、新しい車両だから馴染みがないのか…といっては
早合点もいいところですねえ。新しいといっても1962年に製造されているのですから。


されど製造されたのは20両のみで、なおかつその全てが青山営業所に配置された。
これが、下町育ちの者にとって馴染みがなかった理由だったのですな。


青山営業所は渋谷と新橋や須田町、浜町中ノ橋を結ぶ3路線を管理しており、
配属車両はこの路線に投入されたということなのでありますよ。

ちなみに都電青山営業所は「昭和43年に廃止となり、現在跡地はこどもの城と

国連大学本部になっています」と説明板にありましたけれど、

「こどもの城」自体閉館しておりますなあ…。


ところで、日本で最初に路面電車が走ったのは京都だそうですね。
明治28年(1895年)のことだそうで。
それまで「馬車鉄道や人力車が中心」だった交通機関は

路面電車の登場で大きく様変わりしていったようです。


東京では馬車鉄道を電化する形で路面電車に移行、明治39年に東京鉄道会社ができますが、
これを5年後には東京市が買収して市電となり、やがて都電となっていったという。


大正12年(1923年)ごろには約2000両の車両があり、
関東大震災では800両近くを焼失するも翌年6月には全線復旧、
いかに日常の足として使われていたかが想像できようというものです。


その大正13年には「一日あたりの乗客数はおよそ136万人。国鉄・私鉄などを含めた
当時の交通機関の輸送量の半分近くを担ってい」たのが路面電車だったそうで。


先の7500形が新車両として投入された昭和37年には

「都電40路線、トロリーバス(無軌条電車)4路線が縦横に東京の街を走ってい」た

とのことですが、トロリーバスはたったの4路線だけだったのかと。


これだけ少ないと東京在住者でも馴染みのない人がいそうな気がしますが、
むしろトロリーバスの方はよおく記憶に残っておりますなあ。


都電に先駆けて昭和43年(1968年)までに全線が廃止されていますので、
よおく記憶に残るのも不思議なところですが、全4系統のうち3系統が集まる池袋駅の

駅前広場にはそれこそトロリーバスの架線が縦横に張り巡らされていたのを

覚えているのでありますよ。


ですので、懐かしさの点においては

トロリーバスの車両も展示されておればなあと思うところですが、
残念ながらバスの展示はこちらのボンネットバスだけ。


いすゞTSD43型ボンネットバス


車種としてはいすゞTSD43型というもので、

「日本最後の実用ボンネットバス」(Wikipedia)なのだとか。
上野広小路と行先表示があるということは乗合バスだったということですかね。
都営バスの車体カラーは何度か変更されてきていますが、

こんなふうな色合いは見たことがないような。都営ではなかったのかもしれませんが…。




ということで、ちょこっとひと巡りしただけの江戸東京たてもの園での見聞き話を
なんとも長々と綴ってしまいましたけれど、なんとかこれでひと段落。

そんなタイミングで?今度はちょっくらロシアへ行ってまいります。

(といって、この記事がUPされる頃にはシベリア上空へと向かっているものと思われますが)


一週間ほどお休みを頂戴いたしますが、

帰りましたらまたサンクト・ペテルブルク、モスクワの話などにお付き合いくださいませ。

ではでは。