ひとしきり松阪商人にまつわる場所 を訪ね歩きましたですが、ここで少々目先を変えて。
先に見た松阪市見て歩きの推奨コース(?)からもちと外れますけれど、
そこは自転車の機動力でちと足を延ばして訪ねたのが
松阪市文化財センターの「はにわ館」でありました。


松阪市文化財センター・はにわ館

ここでの展示のメインは宝塚古墳からの出土品の数々。
大型の埴輪がざくざく?出てきたということなのですなあ。


展示のメインは宝塚古墳出土品

宝塚古墳が造られたのは5世紀前半。「松阪地域はヤマト政権にとって、
伊勢湾を通って東日本に進出するルートの重要拠点であった」と想像されることから
「宝塚古墳の主は、大切な拠点を守る伊勢の王」だったのではと考えられているそうです。


宝塚1号墳は前方後円墳

宝塚1号墳は前方後円墳で、手前側に「まつりの場」とされる突起を持っており、
これが古墳本体と土橋でつながっているというのは全国的にも例のないことだとか。


宝塚2号墳は帆立貝式古墳

そして宝塚2号墳は円墳に小さな張り出し部が付いて帆立貝式古墳と呼ばれるそうな。
どうやら1号墳の後継者の墳墓であると考えられているようですね。



でもってこの古墳から埴輪がざくざくだったわけですが、埴輪にも大きなものがあることは
あちこちの考古学博物館などを訪ねて気付かされてはいますけれど、
ここに展示された埴輪は大きなものが多い、そして形が実にさまざまですなあ。


盾形埴輪 家形埴輪 柱状埴輪

写真は左から盾形埴輪、家形埴輪、柱状埴輪。
これ以外にも蓋(きぬがさ)形、高坏形、壺形、冠形などいろいろあるところながら、
極めつけはこちら「船形埴輪」です。見たかったんですよね、これ。


宝塚古墳出土の船形埴輪

これまで船形とされる埴輪の出土例は40数例だそうですが、
船の上に飾りが取り付けられているのは他に例がないとのことなのだそうでありますよ。


説として「生前の王の業績をあらわすものであるという考えと、
亡くなった王の魂をあの世へ運ぶ葬送船であるという考えがあ」るということで、
そうした説明を読んでまた船形埴輪に目を向けますと「さもありなむ」という気が。


これも「こんなに大きかったのか…」という大きさですけれど、
海とのつながりがとても深い土地柄であることに改めて思いを致すところでして。



実際の古墳ではおそらくかように埴輪が並べられていたであろうとなれば、
ざくざく出てくるのは当然なわけですが、気持ちとしては
これまた宝塚古墳を訪ねてみたくなるところ。


松阪の市街地から南へ3kmほどの丘陵地にあって古墳公園となっていると聞けば、
ここでもまた周りきれないもどかしさを感じるのですなあ。
しかし、船形埴輪の実物を目の当たりにしたことでひとつ目的は達成、
次の場所へと自転車を漕ぎ出すのでありました。