ということで、伊勢河崎 の昔ながらの商家の街並みを
そぞろ歩いてたどり着いたのは「伊勢河崎商人館」なのでありました。


伊勢河崎商人館

この建物は元々、元禄年間に創業したという酒屋さんであったということですけれど、
中を巡ると一目瞭然ながらなかなかの豪商であったようですなあ。
解説にはこのように書かれてありました。

江戸時代から酒問屋を営んでいた小川酒店の建物は、600坪の敷地に、江戸時代から明治にかけて建てられた7棟の蔵や明治25年につくられた母屋があります。川沿いの3つの蔵は、船から直接商品を搬入しました。母屋には天保六年の蔵や明治期に作られた京都裏千家の茶室の写しや大正時代にできた応接間などがあります。奥にはサイダー工場跡と3つの蔵があります。これらの建物は国の登録有形文化財として登録され、平成14年から河崎のまちづくり拠点施設として活用しています。
母屋の座敷@伊勢河崎商人館

室内はともかく(といっては何ですが)昔の河崎のようすを偲ぶ絵が飾られていて、
それがなんとも興味深いというか、味わいぶかいというか。




そして、先に盛りだくさんと申し上げたのは蔵の中の展示物のなのですね。
まずは母屋から直接に繋がった内蔵へと入ってみたのでありますよ。


まずは内蔵へ

天保年間に造られた蔵(先ほどの解説では天保六年でしたが、蔵の前には天保三年と…?)、

その中にまずは酒屋らしい品が並んでおりまして、
これはこれ単体で「ほお~」と思ったりするものでしたですねえ。


酒の醸造元から問屋や小売店にさまざまな販促品の提供があったようでして、
商品名の入った徳利、盃などは結局のところ消費者の手に渡るものと思いますが、
小売店向けに抽選会があったり旅行ご招待があったりと、
とにかく自社製品を多く扱ってもらいたいという気持ちがこんな形で表れていたのですなあ。
ま、今も昔もではありましょうけれど。

赤玉ポートワイン本舗景品引換券


こちらは昭和4年(1929年)に赤玉ポートワイン本舗が小売店に対し、
4ダース入り一箱の購入で抽選券1口として何が当たるかお楽しみと告知したもの。
1等から12等まであって、12等は要するに空くじ無しの状態で赤玉ポートワインを3本提供と。2等が特製堅牢自転車とは酒屋さんのニーズに適うものを考えていたのですなあ。

白鹿招待プログラム


一方こちらは清酒「白鹿」の醸造元、辰馬本家酒造が

小売店を一泊旅行にご招待という案内状です。
臨時列車「ハクシカ」を仕立てて、大津からは特約バスで比叡山へ。
京都五条の鶴清楼にて御晩餐とは鴨川納涼床で有名なところでしょうか。
ま、昭和9年(1934年)当時としてはちょっとした豪遊気分になれたのかもしれません。


と、内蔵の中で続く展示はご当地ならではのものと言えましょうか。注連縄のお話です。
まあ、注連縄自体は伊勢しかないものではありませんけれど、
「伊勢では一年間家の入り口などにかけて、年末に新しい物と取り替えます」となりますと、
一年中門口に注連縄をかけておくのはどこにでもあるものではないような。


訪ねたのは1月下旬(もはやふた月も前のことになってしまってますが)でしたけれど、
確かにそこここの玄関先に注連縄が飾られているを見かけましたなあ。こんなふうに。


「笑門」と書かれた門符のある注連縄@伊勢市

「蘇民将来子孫家門」と書かれた門符のある注連縄@伊勢市

いずれも「門符」と呼ばれる、文字の架れた木札が取り付けられていて、
河崎あたりでは「笑門」、「千客万来」、「久那戸之神」、
そして「蘇民将来子孫家門」という門符が見られるのだとか。


言い伝えにあやかって疫病除けと子孫繁栄を願う「蘇民将来」がいちばん多いらしいですが、
「笑門」というのはてっきり「笑門来福」の短縮形かと思いましたら、
むしろ「蘇民将来子孫家門」を短縮した「将門」が転じたものだとも言われるようで。
「将門」では平将門のたたりがありそうで困るということのようでありますよ。


ちなみに門符の裏側にはセーマン、ドーマンが記されているという。

なんだかこれも伊勢らしい気がしたものです(が、もしかして一般的なこと?)。


で、他の展示は…とやっていると超大作になってしまいますので、この辺で。
ただ、伊勢河崎商人館の外蔵で見たものに関しては次回に書いておきたいと考えておりますよ。