外宮
に近く、かつては御師の家
が大きな構えを見せていたであろう界隈を歩いているうちに、
外宮別宮のひとつである月夜見宮にたどり着きました。
祀られているのは月夜見尊、天照大神が太陽の神様と見られることに対して、
その弟になる月夜見尊はこれに次いで月に擬えられているということなのですなあ。
本来は外宮の北御門と月夜見宮とをまっすぐに結ぶ神路(かみじ)通りを抜けて
参詣するところでしょうけれど、あたりをうろうろしているうちにたまたま
月夜見宮にはたどりついてしまったという。
この神路通りは月夜見尊が夜ごとに外宮へと通う道とされていて、
道の真中は神様を乗せた白馬が通るので中央部分を歩くのを遠慮する習慣があるのだとか。
道端の解説を読んで後から知ったわけですが、そもそも通り抜けていないのだから、
気にするまでもありますまい。でも、路面の真ん中には確かに色分けがされてますですねえ。
ところで、かような神路通りの近くに「伊勢と松尾芭蕉」の関わりが解説されておりました。
なんでも芭蕉は生涯に六回、伊勢を訪ねていると言われているそうな。
「伊勢は俳諧の盛んな土地で芭蕉のファンや門人も多かった」そうでありますよ。
そういえば伊勢市駅前にも芭蕉の句碑がありましたなあ。
たふとさにみなおしあひぬ御遷宮
元禄二年(1689年)の式年遷宮の折、「奥の細道」の旅を終えて大垣に着いた芭蕉が
ふと思い立って伊勢を目指したのが9月6日とか。
9月10日に行われた内宮の遷御には間に合わなかったものの、11日に到着した芭蕉は
13日の外宮遷御の日に参拝、この句を詠んだということです。
さぞ混雑したことであろうことが、句から偲ばれますですねえ。
ですが、伊勢にはファンも門人も多かったという芭蕉だけに宿に困ることはなかったようす。
急な思い立ちにも御師の島崎又玄邸に十日ほど逗留したのだそうですよ。
そして、先に通りすがった御師龍大夫邸跡近くの道端にも
ちょこなんと芭蕉の句碑が二つ並んでありましたですよ。
三十日月なし千年の杉を抱く嵐
物の名を先づとふ蘆の若葉かな
右側は貞享元年(1684年)、芭蕉が「野ざらし紀行」の途中で伊勢に立ち寄り、
外宮で呼んだという句。このときは御師・松葉屋風瀑邸に滞在したとのことですが、
風瀑邸も龍大夫邸の近くにあったということですかね。
左側は、貞享五年(1688年)に博識であったという龍尚舎(龍大夫の雅号)への
挨拶代わりの一句だそうです。
これ以外にも芭蕉は伊勢を訪ねた折々にいくつかの句を残していることを
先の解説板で知ることができましたけれど、
元禄七年(1694年)の元旦には江戸深川の芭蕉庵でこんな句を残したそうなのですね。
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り
また今年も伊勢参りをして…というような思いの感じられるところながら、
この元禄七年の秋、松尾芭蕉はその生涯を閉じるのでありますな。
実際には伊勢再訪はかないませんでしたですが、
蓬莱という仙郷にあって伊勢に思いを馳せる芭蕉の姿が浮かぶようでありますね。