ふいと思い立って「そうだ、芝居を見に行こう」と思うことがあるものでして。

新宿の紀伊國屋サザンシアターで文学座公演「寒花」を見て来たのでありますよ。


文学座公演「寒花」@紀伊國屋サザンシアター

明治44年(1909年)、元韓国統監であった伊藤博文がハルビン駅で射殺された。

当時、ハルビンを権益下においていたロシアの官憲が犯人・安重根を捕え、

引き渡しを受けた日本側は旅順に送致、裁判で絞首刑が言い渡されたこの重罪犯を

旅順監獄が迎えるところから舞台は始まる…のでありました。


とまあ、話の出だしをこのように言いますと歴史の舞台化と思うところながら、

例えばNHK大河ドラマのように「歴史」そのものを伝えるものではないのですなあ。

(もっとも大河ドラマも視点の置き方に左右されて、「歴史」の真実を描くわけではありませんが)


死刑執行を待つ安とそれを取り巻く典獄、看守長、監獄医、通訳、

刑が粛々と行われることを見守りに来た外務省の役人といった面々が織りなす物語は

もちろん歴史の一部分ではあるものの、そこには戊辰戦争の官軍賊軍の確執やら

キリスト教というものの関わり(安はクリスチャンだった)やら

(いささか唐突にも聞こえましょうが)母と子の関わりやらといったものがないまぜになってくる。


そのないまぜ具合、重なり具合には見終わってなかなか整理がつかないところでして、

どの部分にも思い巡らし所はあるものですから。

ここでそのどれもこれもに言及はできませんですが、

思い巡らしのひとつを書いていこうと思っておる次第でありますよ。


伊藤暗殺の翌年、1910年に日本は当時の大韓帝国を併合しますけれど、

そのような、日本が朝鮮半島に、そして大陸に向けてとった政策の元凶を

安重根は伊藤博文に見たということでしょうか。


テロリズムを決して肯定はしませんけれど、

安ばかりでなく、朝鮮半島、大陸の人たちが抱いた危機感を今なら理解できますですね。

後に日本は「五族協和」を掲げ、満州に「王道楽土」を造り上げるといったことを

スローガンにしていきますが、五族(満州人、日本人、蒙古人、漢人、朝鮮人)にあまねく

歓迎されたものではなかったでしょうから、押し付け以外のなにものでもない。


「王道楽土」にしても、結局のところは誰が主導権を握っての楽土であるのかと考えれば、

そりゃあ当然に日本に決まっていると織り込み済みの考え方となれば、

これまたリップサービスみたいな言葉だとはすぐに知れるところですし。


日本は明治維新を経て、旧来の価値観をほぼ全否定し、西洋諸国に並ぶこと、

簡単にいうととことん西洋諸国の真似をすることを良しとしてきたのですよね。

それが、日露戦争の勝利(本当のところの内実は国民に示されていなかったと思いますが)で

ついに日本は一等国になった、これからは一等国らしくして、なおのこと西洋に笑われんように

せんといけんと思うようになる。


結局のところは世界を巻き込んだ大戦争を引き起こす側になってしまうわけですが、

西洋が歩んできた、いいところも悪いところも含めた歴史を、明治維新から一気に

それこそ爆発的な勢いでなぞっていってしまったてなふうなことも言えましょうか。


その始まりがやはり明治にあるということになりましょうね。

ここで言っていることは明治が悪い、江戸は良かった…てなことではもちろんなくして、

さも江戸から明治へと、単純にプラスの方向に進んだわけではないということなわけで。

そうした批判的な歴史観は必要でありましょうねえ。