江戸東京たてもの園 内をぶらり探訪して、お次の看板建築は大和屋本店です。
移築前は港区白金台の目黒通り沿いに構えた店だったそうですから、
今ではビルが建ち並ぶこの界隈も、この店が建てらえた昭和3年(1928年)頃は
看板建築の商店が軒を連ねていたのでありましょうねえ。


乾物屋の大和屋本店@江戸東京たてもの園

正面に大きく「鰹節」とありますように、もっぱら乾物を手がけた店であったようですが、
荒物屋 よりはまだ乾物屋の方が言葉としては生き残っておりましょうか。
もっとも今でも専門の乾物屋というお店はずいぶんと少なくはなったと思うものの、
スーパーなどには「乾物」というコーナーがあったりしますものね。


大和屋本店では創業当初から乾物類の販売を手がけていたところながら、
「海産物の仕入れが困難になった昭和10年代後半以降はお茶と海苔などを販売」したとは
やはり戦争の影響でありましょうか。


とまれ、保存展示の店先は戦前の乾物屋の様子を再現したとのことで、
なるほど乾物=乾燥させたものがいろいろありますなあ。

(一部、乾きものでないものもありますが)


戦前の乾物屋の店先

手前にはスルメが二種類、お隣には昆布が三種類並んでおりまして、
スルメの方に置かれた札には下田産、石巻産とあるだけですが、
昆布の方には北海道「特産」と書かれてあるのですね。


なんでも日本昆布協会の「こんぶネット」によりますれば、
「日本の昆布の約90%は北海道全域で、その他は

東北(青森県、岩手県、宮城県)の三陸海岸沿いで採れ、
 場所によって、採れる昆布の種類が違います」とか。


なるほど文字通りに北海道の特産品だったわけですが、

場所によって採れる昆布の種類が異なるとなれば、
わざわざ「日高昆布」「利尻昆布」「羅臼昆布」と分けて表示してあるのも頷けるところです。


昆布を使った料理をされる方には常識なのかもしれませんけれど、
種類が違うとなると、風味などの点でも違いということなのでしょう、
先の「こんぶネット」の紹介ではこのようにありました。


  • 日高昆布:
    三石昆布とも呼ばれる。濃い緑に黒味を帯びている。柔らかく煮えやすい。だしにも使われる。主な用途は、佃煮昆布、昆布巻、おでん用、だし昆布など。

  • 利尻昆布:
    真昆布に比べてやや固め。透明で風味の良い高級だしがとれ、会席料理などに使われる。主な用途は、主にだし昆布として利用、塩昆布、湯豆腐など。

  • 羅臼昆布:
    茶褐色で羅臼オニコンブの別称があり、香りがよくやわらかく黄色味を帯びた濃厚でこくのある高級だしがとれる。主な用途は、主にだし昆布として利用、おやつ昆布、佃煮など。

つまり、手前に出してある日高昆布がいわば普及品で、
奥に引っ込め気味の利尻昆布と羅臼昆布が高級品とは店先再現にはこういう点にも
気を配っていたのか…と思ってしまいそうになるところかと。


ですが、スルメの並びには奥にむかって卵、栃木特産干瓢、

自家製手いり麦茶(細長い筒状の包みですね)と続いてますな。

いくら栃木「特産」とはいえ、干瓢が高級品とも思われず、
ましてや自家製麦茶の値段が高いとも思われない…と、ここまで考えて「ああ、そうか!」。


これは店の前から見て奥にある品物が値の張るものというのでなくして、
客の手が届きにくいところに高価な品物が置かれているのだなと気付いたわけです。
スルメの並びは店の奥側であって、店内に入る通路からは簡単に手が届きますから、
その辺りには高級品は置かない。

簡単にかっさらわれないようにしていたのですなあ(と、想像ですが)。


そうなると、奥の奥、別ケースに入った海苔はさぞ高級な…と思うところながら、
これは単に湿気てしまうのを防いでいるだけでしょうかね。
とはいえ、戦前にはまだ東京の大森や品川で「特選海苔」が作られていたのでしたか。


いにしえの煙草小売所

ところで、そんな乾物の並ぶ店の片隅にタバコ販売のコーナーが。
昔はこの手のタバコ売り場をよく見かけましたですねえ。


ただ戦前となると専売公社ができる前ですので、
大蔵省(現・財務省)が直々にタバコ販売(要するに税源としてですが)していた頃ですね。

ということで、建物への関心はどこへやらで品物にばかり関心の向いてしまった
乾物屋の店先なのでありました。