町なかで商店街と思しき並びの中に、

ひょいと何の看板も掲げられていない普通のお宅が紛れ込むことがありますね。


江戸東京たてもの園 でも、そうした自然な街並み再現への配慮なのでしょうか(?)、

解説板にはただ「植村邸」とある建物がひとつ。


何かしらの商売を営んでいたとかいう説明もありませんが、

建物としては「看板建築」の典型でもあるようですので、
普通の民家も看板建築に倣って建てるということがあったのでありましょうかね。

植村邸@江戸東京たてもの園


看板建築の特徴のひとつに和洋折衷というのがありましたですが、
銅板で覆われたファサードは和とも言えず洋とも言えずでもあるような。
ただ、2階の窓に設けられた高欄が「和」の存在を強く主張しているようでもありますね。


看板建築は、関東大震災後に多く建てられたとのことでして、

こちらの植村邸もまた昭和2年(1927年)の建築。
なんでも設計者は家の持ち主である植村さん本人だそうですが、

装飾なども全て自前なのでしょうか、正面上部の紋章めいたものもオリジナルのようで。

植村邸のファサードを飾る紋章?


中央には英文字の「U」と「S」が(阪神や巨人の帽子のマークのように)組み合わさってまして、
これは設計者でもある植村さんのお名前が三郎で、そこから「U」と「S」のデザインが作られたとか。


そのイニシャルが六芒星の中におさまり、さらにオリーブの葉のようなものが囲んでいますが、
これはどんなふうに受け止めたらいいでしょうか。


アルファベットの使用とオリーブの葉(らしきもの)を配する点では「洋風」ですけれど、
六芒星、というよりも「ダビデの星」と見たときにはも「洋風」という意識で使われたのかどうか。
(確かに日本から見ればユダヤも洋風なのかもですが)


ちと穿った見方をすれば、

このダビデの星状のデザインがユダヤを表すものと日本人が知るようになるより早く、
日本は日本でこのデザインを家紋(「籠目紋」というらしい)として使っていたと言いますから、
植村さんちの家紋であるか、あるいは日本で家紋に用いられている=和風であると考えて、
このデザインの中だけでも和洋が折衷されているてな思いだったのかも。


ちなみに「籠目紋」とは家紋としてメジャーではないのでは…と思うところではありますが、
1914年(大正3年)に設立された愛知トマトソース製造という会社が
3年後にはかの「籠目紋」をデザインしたマークを商標登録するのですね、「カゴメ印」として。
これが、ケチャップ等々で有名な現在のカゴメ株式会社であるとは容易に想像できるところかと。


で、カゴメ印の製品が植村邸の建てられた昭和初期に

東京で出回っていたかは分かりませんけれど、もしろ出回っていたら、

和洋折衷の家を建ててしまう植村さんとしては、トマトという洋風食品を

籠目紋という和風の商標で売り出していることそのものに和洋折衷を感じて、
「いただき!」と思ったかもしれませんですね。


「カゴメ印」として登録された商標は丸に籠目というデザインになっていますので、
そのまま使うのはご法度として、丸をオリーブの葉に代えたのかも…てな具合に
あれこれと想像は膨らみますが、いずれにしても勝手な妄想ですので、

真に受けないように願います(笑)。


と、江戸東京たてもの園での看板建築探訪は今しばらく続くのですけれど、

(続くのは江戸東京たてもの園の話ばかりではありませんですが…)
差し当たり例年同様の新潟出張に行ってまいりますので、

明日は臨時休業いたします。あしからず。