さて、ベルリンでブランデンブルク門 からジーゲスゾイレを望むのと反対の東側、
つまりはかつてのベルリン旧市街側ということになりますけれど、そこにはまっすぐに
「ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)」という通りが通っておりまして。

余は模糊たる功名の念と、檢束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの歐羅巴の新大都の中央に立てり。何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色澤ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と譯するときは、幽靜なる境なるべく思はるれど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。

……遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多の景物目睫の間に聚まりたれば、始めてこゝに來しものゝ應接に遑なきも宜なり。されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。

ちと引用が長くなってしまいましたですが、ご存知森鷗外 の小説「舞姫」の一節。

ベルリンに到着した主人公の印象を書いている部分ですけれど、ここで「菩提樹下」、

「ウンテル、デン、リンデン」と言われているのが、「ウンター・デン・リンデン」ですな。


道の両側の歩道、車道、そして中央には遊歩道という幅の広い通りと

そこをそぞろ歩く紳士淑女、そして周囲の景観に主人公は目を奪われますが、

自分はそんなことのために遥々やってきたのではないと
好奇心を打ち払っているようすが窺えますですね。


ちなみに「凱旋塔の神女の像」とはジーゲスゾイレでありましょう。

とまれ、かような「ウンター・デン・リンデン」の遊歩道に今では観光客が行き交い、
それをお客にするのでしょうか、ジャンクフードのスタンドが出ていたものですから、

ついついご当地名物のカレーヴルストを買ってしまいましたですよ。


ウンター・デン・リンデンのカレーヴルスト

出自は諸説あるものの、ベルリン発祥とも言われるカレーヴルスト。

ご覧のようにソーセージ(ドイツ語でヴルスト)にカレー粉交じりのケチャップをかけただけの
実にシンプルなものですけれど、さほどに長い歴史があるのではないようで、
第二次大戦後、空襲で跡形もなくなったベルリンの町の復興に当たった労働者の間で
「安い速いうまい」が持てはやされたか、大流行したという代物であるようでありますよ。


ニューヨークのホットドッグ屋ほどではないにせよ、町中で手軽に買えるようになってまして、
場所によってはこんなベルリンらしい看板(熊はベルリンの紋章にある動物ですものね)も
見かけられましたなあ。



と、話のついでに、ドイツならではの軽食らしいものをもうひとつ。
ちょいとあとに昼飯代わりに食したものですけれど、フラムクーヘンというものです。

どうやらアルザス地方の郷土料理だそうですから、ドイツというよりフランスなのかも。

フランス語では「タルト・フランベ」と言うようですが、いずれにしても「炎のケーキ」でな意かと。

フラムクーヘン



形こそ四角くではありますけれど、パッと見ではどうしたってピザに見えようかと。

では、フラムクーヘンとピザ゙との違いは何ぞ?と思うところでして、

決定的な違いはトマトソースを使わないという点にあるようです。


元来、トマトは南米原産(つまりは日当たりが肝心なのではと)で、

スペインのコンキスタドーレスのひとり、コルテスがヨーロッパに持ち込みますが、

やがてイタリアの太陽のもとでより食用に適するように改良が加えられて現在に至るとか。


それだけにイタリア料理にトマトソースが多用されるのは当然として、

反面、アルプス以北でトマトはなかなか使えなかった…てな事情があるのでしょうか。

ま、推測ですけれどね。


一説にはフラムクーヘンにはチーズも使わないという話もありますけれど、

チーズは北方地域でも手に入れやすい食材ですから、

だんだんとピザの違いはあいまいになっていったかもしれません。


もしかすると、地続きで広いヨーロッパでは郷土料理というもの自体、

オリジナリティーを保つのは難しいことなのかもしれんなと思ったりしたものでありますよ。