何カ月もかかってトルストイの「戦争と平和」 を読んでいたわけですけれど、
その合間にも別の本が読みたくなったりすることがあるものでして。
同時並行でいろんな本を読む器用さに乏しいものですから、
全ては先送りしておりましたが「戦争と平和」読了に及び、
他の本へと手を伸ばすが晴れて解禁となったわけですなあ。
そこでまず手にとることにしたのは松本清張作品でありまして。
録画しっぱなしになっていたEテレ「100分de名著」の松本清張スペシャルを
ようやっと最近になってまとめ見したものですから。
番組でも取り上げていた代表作のひとつ「点と線
」を読んだのは昨年12月と
比較的最近だものですから、記憶にも残るところではありますけれど、
番組での話が「砂の器」、「昭和史発掘」と進むに連れて、ようやっとと言いますか、
松本清張が「社会派」と言われる由縁に改めて思い至った次第でありますよ。
「点と線」を読んだ段階では、その時その時の社会情勢を踏まえているものとして、
パズルストーリーのようにトリック優先で状況を作り出すのとは違うありように
目をとめるばかりでしたが、それだけではなかったのですなあ。
「昭和史発掘」は小説ではないですが、二・二六事件の真相に迫る際に資料を読み解き
皇居制圧の先陣で出向いた青年将校の行動に生じていた1時間半の空白の
意味を探ろうとするあたり、洞察力の深さに思い至ったりしたものです。
ま、そんなわけでまたひとつ松本清張作品を読んでみるかと考えたところながら、
手にしたのは異色作と言いますか。必ずしもドキュメンタリーではなく、
かといって小説とも言い切れないような。
タイトルは「アムステルダム運河殺人事件」でありました。
1965年に実際に起こった事件を扱っていて、当時はその事件が世界中の関心を呼んだとも。
アムステルダムの運河で発見されたトランクに頭部、両足、両手首を切断された胴体だけの
遺体が入っていた。それがどうやら被害者は日本人であるということで…。
やがて被害者は隣国ベルギーのブリュッセルに駐在する日本人商社マンで、
容疑者と目された人物もまた日本からの他社駐在員。事情聴取を繰り返す中で、
その容疑者が自動車事故で亡くなってしまい、事故を装った自殺だったのではとも見られて
その後は捜査も進展しないまま、真相は解明されないままとなってしまった、という事件。
これに松本清張の洞察力が「おや?」と思ったのでしょうなあ。
わざわざオランダのトランク発見現場やベルギーの被害者、容疑者のアパートだった場所を訪ね、
捜査担当者にも直接面会して取材に及び、本作を書き上げたのだとか。
なるほど事件概要をつかんだ限りでおかしな点と思しき部分にはおよそ目を行き届かせて
新たな犯人像を特定するに至っているのは大したものだと思うものの、
それでも読後に釈然としないものがまだ残るのですなあ。
先の番組で取り上げられた「点と線」や「砂の器」などでは
登場人物たちは(犯人も場合によっては被害者も)実に深く悩ましい心理状況を抱えていて、
またその複雑な心理状況の背後には自らは表面化しないところで暗躍する「巨悪」の存在が
示唆されたりしていたわけです。
ところがこのアムステルダム運河の事件では
確かに捜査ではたどり着かなかった結論を導いてはいるものの、
ご近所の金目当て殺人で終わってしまっている。
清張の目の付けどころはそれだけだったのか…という点が釈然としなかったりするわけです。
舞台は外国、しかも商社の取引にはさまざまな裏事情が絡んできそうな気配もありと、
そんな点にこそ目が向いたのかとも思ったものですから。
ただ、ここでは小説の文中にもあるように、
(Wikiにいわく)「現実の殺人事件をモデルにした最初の推理小説であると考えられている」
エドガー・アラン・ポーの「マリー・ロジェの謎」を意識したことが
むしろ清張らしい「社会派」から離れることになってしまったかもしれませんですね。
試みとしては理解するものの、いささか残念な気のする作品ではありましたですよ。