「命に危険がある温度」とは気象庁の会見で聞かれた言葉のようですけれど、

そうした暑さがひと段落したかと思えば、また暑くなってしまって…。


そんなときに見るにはタイトル的にうれしくない想像をさせるものではあるものの、

たまたま「リミットレス」なる映画を見たのでありますよ。

限界なく暑くなる…という話ではもちろんありませんで、
「万能の力が得られたら、あなたならどうする?」的なお話でしたなあ。



とある薬を服用すると脳が最大限の力を発揮して、
「なんでもできちゃう」ような状態になるということなんですが、
頼りにするのが怪しげな薬という点で実に胡散臭い。


もっとも「薬に頼っていてはいけんよ」という当然の警句ではあるわけですけれど。

ところで、映画の中で主人公のエディー(ブラッドリー・クーパー)が怪しい薬を
試してみないかと唆される場面で、普段、人間の脳は20%しか使われていないところを
フル活用できるんだ的な文句があったのですね。


そうかそうか、たったの20%かと思えば、それをもっと使えればと考えるのもある意味自然。
ですが(と、この先は全くの想像ですけれど)平均値としてそのくらいの使われようであることが
人のからだがうまく働く前提になってたりはしませんですかねえ。


何らかの鍛え方でもって人体のどこかしらの機能を

少しずつ平均値以上に向上させるてなことはありましょうけれど、

そうしたプロセスもなく人為的に(この場合は薬の効果でですが)
機能全開てなところに持ち上げるのは、木を見て森を見ない所業なのかも。


なにしろ人間は精密機械ですので、どこかとどこかが(人間が気付いていなくとも)結びついて
相互作用を実現しているてなことがありましょう。そのあたりを気に掛けることなく…となれば、
無理が生じるのも必然かと思ったりするところでして。


まあこうした冒険しない考え方(?)で行きますと、薬に頼る以前のエディーのように
燻ぶるだけで何もしない人生になってしまうてなふうにも思わされるところですけれど、
逆に薬の効果で成功を収めたエディーの姿(おきまりのセレブ的生活)は
それはそれで不自由にしか思われないようにも。


タイトルの「リミットレス」とは能力に限りなしとも取れますが、
一方では欲望には限りなしとも受け止められますですなあ。
翻って、個人的にはリミットレスでありたいものは想像力でしょうか。

仮に能力にも欲望にも欠けて「実現する」ことはできないとしても、
「想像する」ことができれば、人の生活は豊かになる可能性がありますものね。


と、暑さが戻ってきた中で凡人の能力はリミットが下がるのか、

今日のところはこのへんで(笑)。