さて、国立国語研究所の一般公開イベント を訪ねた続きになりますけれど、

ミニ講座で聴いたお話のことを少々。


講座のタイトルは「コップ、それともカップ? ことばの意味について考えよう」というもの。

同研究所の教授が小学生を多く含む受講者にやさしく語りかけておりましたよ。


主に飲み物を入れる器には「コップ」と呼ばれるものと「カップ」と呼ばれるものがありますね。

英語で言ってしまえばいずれも「cup」で違いは無くなってしまうわけですが、

日本語として(?)聞いた場合、「コップ」と「カップ」とでは些か思い浮かべるものが

異なってくるのではないでしょうか。


そこで、講座の中でも紹介されましたですが、改めて国語辞典にあたってみますれば

「コップ」と「カップ」の語釈はそれぞれ次のようであるとか(出典は「大辞林」だそうです)。

コップ:水・ビール・ジュースなどを飲むのに用いる、円筒形のガラス製の容器。
カップ:取っ手の付いた西洋風のうつわ。

先に「コップ」と「カップ」という言葉を挙げたときに、

それぞれのイメージを何となく思い浮かべたかもしれませんけれど、

その思い浮かべ方によっては「大辞林」の語釈に納得しがたいところもあろうかと。


例えば、紙コップは明らかに「カップ」というより「コップ」と呼ばれるのがふさわしいものですけれど、

語釈にははっきりと「ガラス製」と書かれてありますから、これに従えば

紙コップはコップでないということになってしまいます。


また、小さな子供が牛乳やジュースを飲むときに用いられることがあるプラスチック製のコップ。

これも材質的にコップと呼んでいいのか…という以上に、子供が器を落とさないように

器の片側、場合によっては両側に取っ手が付いていたりもしますけれど、

「カップ」は取っ手がついていると語釈にある一方で、「コップ」の方にはその記載が無い。

と、この点でも子供用の器はコップではない(コップと呼ばない)となってしまいそうです。


さりながら、実際の認識はこれもまたコップと受け止めているのが一般的なのかも。

このようにいろいろな種類の飲み物用の器の中には、改めて分類しようとすると

微妙なものが現実にはたくさんあるわけですが、そうしたものを現実には

なんらかの呼び名でもって処理しているわけですなあ。


こうした考察から講師が受講者(取り分け子供たち)に伝えたかったのは、

言葉の意味を知るのには2つの方法があるということ。

ひとつは辞書を使って調べることで、もうひとつは自分で考えるということなのですね。

人それぞれの頭の中にはそれまでの知識や経験が詰まっていて、

それらを元にした「辞書」が頭の中に作られているのだからというわけです。


実際、どちらかというと頭よりも頼りにする辞書は、

先の例で見ても微妙なところを説明しきれていないようでありますし。

ついでに言えば「コップ」と「グラス」の違いにおいて、辞書でその違いにあたるよりも

人それぞれが「あ、これはコップ」、「こっちはグラスだね」という判断こそ物の認識では

役に立つところでしょうし。


ところで「コップ」と「カップ」は英語にすればいずれも「cup」とは先に触れましたですが、

日本でこれを使い分ける背景としては、外来語として伝わり方の違いであるようですね。

講座の資料にはこのようなことが記されておりました。

コップ:江戸時代にオランダ語から入って来た(一説にはそれより前にポルトガル語から)。
カップ:明治時代になって英語から入って来た。

いずれにせよ、ラテン語の「cuppa」が元来のようですけれど、

これがオランダ語では「kop」となり、英語は「cup」となって、日本へは前者が先に入ってきた。

舶来品がいろいろ入る中で飲み物用の器としては同時にガラス製品が入って来たりしたことが

先の辞書のようにコップといえばガラス製品を指すようにもなっていったのでしょう…と、

この部分は講座でなく個人的な思い巡らしですが。


とまれ、講座で示唆されたことを考えてみるに、

分からない言葉があれば辞書を引くというのは引かないよりも良いことは当然ながら、

そこの語釈をまるのまま鵜呑みにするのはどうであるかなと。


あたかもある書物に出てきた歴史にまつわる叙述を歴史的事実であるかのように考えては

(偏った史観に基づくかもしれず)危うい思い込み繋がることがあるのと同じなのかも

何事も自分の頭で考えることを抜きにしてはいけんということなんですが、

こうしたことまで小学生たちには伝わったのでありましょうか…。